を伸ばさせる方針で、そのアクチングにも、積極的な註文はあんまり出さないやうにしてゐる。頭の中で動きや形をつけて置いて、その動きや形に俳優を従はせるといふ行き方を排し、先づ俳優自身に動きや形をつけさせ、それを、消極的に規整する行き方を撰んで見た。その結果は、舞台そのものを、非常にオリヂナルにすることはできなかつたに拘はらず、人物のうちに自然に流れ出るものを感じさせることに於て、多少成功したと思つてゐる。私は、舞台芸術家として、そこから出発することを少しも恥かしく思はない。また、俳優諸君としても、私の此の主張を既に理解してくれてゐることゝ思ふ。従つて、「自分の有つてゐるもの」に対する謙虚な考察から演技に充分の工夫が積まれるやうになることゝ思ふ。今度の稽古で、私は、第一に、さういふ希望を与へられた。

 脚本の傾向、俳優の演技、監督のセオリイ、この三者が一致することは、何よりも望ましいことである。しかし、その「喰ひ違ひ」から、何か新しい、思ひがけないものが生れて来ることも期待できないことはない。
 あんまり、理論に囚はれずに仕事がしたいと思つてゐる。



底本:「岸田國士全集20」岩波書店
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