言はでものこと
岸田國士
芝居と云ふものを強ひて「大勢」に見せるものと考へる必要はない。
「自分たちの芝居」と云ふものがあつていゝ。「ほかのものには面白くない芝居」があつても仕方がない。
先づ「これは芝居だ」と云へるやうな芝居が書きたい。
「これも芝居だ」と云へるやうな芝居も書きたい。
「これが芝居だ」と云へるやうな芝居は、一生のうちに書けるかどうか。
「或こと」を言ふために芝居を書くのではない。
芝居を書くために「何か知ら」云ふのだ。
怒つてはいけません。あなた方が批評をお書きになるのとどう違ひますか。おや、違ひますか。
「劇的」と云ふ言葉は「美しい」と云ふ言葉ぐらゐ通俗的になつてゐる。
誰でもが「劇的」と呼ぶ「或種の感動」は、必ずしも「芸術的感動」ではない。
さう云ふ感動を生命とする芝居も、「自分たちの芝居」と呼びたくない。
自分には芝居は書けないといふことを気づくのは、自分には芸術はわからないといふことがわかるほど、むづかしいことではない。
なんでもかんでも芝居を書かうとは思はない。
然し芝居を見に行くのがいやになつたくらゐで、芝居を書くことをやめは
次へ
全3ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング