子  女優は、美しいつていはれることが、何よりの名誉ですわ。
武部  成程……。
更子  そればかりぢやありません。あたしの本当の姿をまだ見たことのない人達が、たとへ漫画にもせよ、あの、滑稽な、憎々しい、馬鹿げた、気味の悪い、一口で云へば、グロテスクな、醜態極まる女の顔を、これが天城更子だと思ひ込んでくれたら、私はそれだけで、命の半分を失ふんです。私は、自分自身に対して、美しさを守る権利があり、何十万といふ私のフアンに対して、私の美しさを、飽くまでも類ひないものにする義務がございます。そればかりではありません。「美しい」と申すことは、一つの信仰です。自分でもそれを信じ、人様にも、それを信じていたゞかなければなりません。私は、たゞ、三堂微々といふ一人の漫画家と戦ふのではありません。美しいものを美しいと感じない不都合な野蛮人どもを、残らず日本の国土から追ひ出してしまふ決心です。
武部  すると、損害賠償の額は……?
嬉野  それが、その……。
更子  一万円……。
武部  は?
更子  一万円ですよ。安すぎますか。
武部  (書きつけながら)いえ。や、どうも御邪魔しました。

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○武部は更子の家を出ると、すぐにタクシイをつかまへ、その足で、銀座資生堂へ駈けつける。

○銀座資生堂。二階新興漫画展覧会。

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受附には、出品者たる漫画家が三人。三堂微々を初めとして、加治わたる、中根六遍、卓子を囲んで陽気に――
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六遍  招待状が丸で効《き》いてないね。天気は良し……。
微々  野球はなし……。
わたる  絶好の漫画日和ぢやないか。
六遍  これで、幾人?
わたる  招待もいれて六人。
微々  一時間平均二人か。髪床屋なら、相当なもんだ。
六遍  新聞が案外冷淡だよ。
わたる  事大主義は遍く行き渡つとる。昨日「日の出」から写真を撮りに来たと思つたら、演芸欄さ。面白くもねえ。それも、こいつのが一枚。
微々  妬くなよ。もうちつとの辛棒だ。
六遍  さう云へば、映画女優の顔を、もつと描くんだつたな。文士や政治家の面よりや、たしかに受けるだらう。
わたる  尤も、女優の面なんて、どいつもこいつも、漫画的に見りや、平凡この上なしだからな。セシル・ソレル嬢みたいなのが、一人でもゐてくれゝば格別だが……。
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入場者一人。
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六遍  切符はこちらで差上げます。十銭……あ、招待券をお持ちですか。いけねえ、どうぞ、そちらへ……。
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武部がはひつて来る。
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わたる  招待券をお持ちですか。
武部  (名刺を出す)
わたる  いけねえ。どうぞ、御ゆつくり。
武部  いや、実は、今朝私の方の新聞へ乗せました漫画のことについてゞすがね。その女優さんにたつた今、会つて来たんです。大変なことになりましたよ。
微々  大変と云ふと……。
武部  ついては、あの作者にお目にかゝつて、是非、私からお伝へしたいことがあるんです。
微々  はゝあ。
武部  三堂さんとおつしやいましたよ。御住所はおわかりでせうか。
微々  わかつてます。僕、案内しませう。
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微々は、仲間に目くばせをして、武部と共に出て行く。
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六遍  ちえツ、うめえことをやりやがつた。
わたる  早速、注文だな。
六遍  正面からのをもう一枚つてところだらう。

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○タクシイの中。
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武部  高円寺はどの辺ですか。
微々  駅から北へ約十町。
武部  ぢや、私んちの近所だ。
微々  あの辺は、月収百円以下つてのが多いんだ。
武部  おほきに。あなたのお住居は……。
微々  やはり、その辺さ。
武部  三堂さんは、まだお一人ですか。
微々  一人でも半分みたいなもんだ。
武部  すると、お暮しは、あまり、お楽の方ぢやないですな。
微々  御察しの通り。しかし、そこは半分の有難さで、人並にかゝりもないからね。
武部  益々面白いな。天城更子嬢の要求を、彼氏、如何に受け流すか、これが見ものだ。
微々  なんか、要求をされるのかね、先生。
武部  そいつは、職業上の秘密でね、まあ、あとからお聞きなさい。夕刊には、何れ、大々的に書くつもりです。

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○高円寺 三堂微々の住居。

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微々は武部を案内し
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