鼻は……何さ、この顎は……何さ、この髪の恰好は……。わざと可笑しなもんをくつ付けて、それで誰かに似せたつもりなら、失業者はみんな画かきになるといゝわ。
珠枝  何を見てかいたんでせう。先生のに、横向きのプロマイドがあつたかしら。
更子  いゝよ。何うだつて、そんなこと。それより、早く、電話をかけておくれ。
珠枝  どこへでございます。
更子  わかつてるぢやないの、あの方よ。
珠枝  横川さんでございますか。
更子  さうだよ。早く……。事務所の方だよ。

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○電話室。

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更子電話口にて――
「あたし……おわかりになつて……。お早う……。うふん、さうでもないわよ……それやさうと、今朝の日の出新報御覧になつた? え? 御覧になつたの? ぢや、御存じでせう? その事でね、ぜひ御相談があるの。えゝ、さうよ。とても……。だからよ……直ぐ来ていたゞきたいの。えゝゝ、まあそんなとこ。モチ宥さないわ……。可笑しいつて、何が? 兎に角、大急ぎで……お待ちしてゝよ」(受話機を一旦かけ、更に新しい番号を呼び出す)「……はい、もし、もし、そちら、日の出新報ですか……演芸欄の編輯へ繋いで下さい……。はい、こちらは天城です、天城更子……。え? はつきりつて、はつきり云つてるぢやありませんか……兎に角、繋いで下さい……。人を馬鹿にしてるわ。話中……はい、……あゝ、あなた演芸欄の方……さう、今朝ほどはどうも有りがたう。いゝえ、実はね、あの絵のことで、あたし、少し怒つてるのよ。三堂微々とかつて、どんな奴か御存じ? さうでせう、名前なんかちつとも聞かないわね……」

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○日の出新報の編輯局。

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記者武部が電話をかけてゐる。
「いや、さういふわけぢやないんですが、展覧会では、あの画が素晴らしく評判なんですよ。それで、なんですか、あなたから、何か抗議でも下さるおつもりですか」

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○更子――

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「さあ、どうするか、まだきめてませんけど、何れ、相談をしてから……」

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○武部――

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「今からすぐ伺つてもいゝですか。……午前中ですね、はい、わかりました。ぢや、さよなら……」記者達は、この「特種」を囲んで、策戦をめぐらし始める。

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○更子の家の応接間。

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彼女は横川と対ひ合つて話をしてゐる。傍らに弁護士嬉野が控えてゐる。
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横川  君がそれほど憤慨するなら、まあ謝まらせるぐらゐのことはしてもいゝだらう。
嬉野  名誉毀損で訴へてもよろしいですな。
横川  慰藉料ぐらゐ取れるかい。
嬉野  取れますとも。
更子  そんなことはどうでも、懲りさせてやることが大事だわ。
嬉野  何か、あなたの場合に限つてといふやうな、特別な名目が立つといゝですがな。
更子  あたしの場合には、名目が立つと思ふわ。法律ではどうか知らないけど、人が一番大切にしてるものを、理由なく傷けたつていふ場合はどうなるの。
横川  傷けたことになるかね。
更子  なるぢやないの。女優は、美しいつてことが、第一の誇りでせう。それが財産、それが命だわ。さうでせう、それを、あんな風に世間へ伝へられてごらんなさい、これは致命的な損害ぢやありませんか。
嬉野  よろしい。つまり、損害賠償の訴へを起せばいゝです。問題は、その金額です。
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春日珠枝が、名刺をもつてはひつて来る。更子と横川とがそれを見る。
「日の出新報記者 武部等」
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更子  こつちへ通して、いゝわ。
横川  僕はゐない方がいゝだらう。(部屋を出ながら、嬉野に)君は、そばで助け太刀をしてやつてくれ。
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武部がはひつて来る。
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武部  先程は……それで、結局、どうなりましたか。(手帳を出す)
更子  (嬉野に)何でしたつけ?
嬉野  (名刺を出し武部に渡す)わたくし、かういふものです。実は今度の事件について、只今御相談を受けたのですが、御承知の通り、問題は非常にデリケートな感情の領域に亘つて居りますので、これは法律家として、理論で押して行く前に、先づ御本人の、何と云ひますか、極く特殊な心理状態を基礎として、先方へ要求を提出しなければならないと思ひます。従つて訴訟の名目は仮りに損害賠償といふことに致しますが、御本人のお心持から云へば、むしろ名誉毀損……
武部  名誉と云ひますと?

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