思はないだらう。

 俳優の演技によつて、その効果を左右されることが少い戯曲とは、一体どんな特色をもつた戯曲だらう。その特色は、果して、その戯曲の芸術的価値を高めるやうな性質のものばかりだらうか。これが問題なのである。
 例へば、「筋が面白い」といふ特色もその一つに違ひない。これは、「主題の価値」と結びついて、確かに作品の芸術的生命を形造るものである。が、しかし、「その面白さ」は、ややもすれば、かの「劇的《ドラマチック》」なる美名の下に、通俗的興味を満足させるにすぎない場合が多いではないか。かうなると、単に「筋の面白さ」を求めることは、戯曲の邪道であり、演劇の堕落である。
 次に、「場面の変化」である。これも、作品を単調から救ふ必然の変化であれば、何等問題はないのであるが、往々、目先を変へるための不自然な、取つてつけの「粉飾」を施すことがある。これも、絶対に作品の芸術的価値を高めるものではない。殊に、舞台の機械的装置によつて、観衆を眩惑しようと試みるが如きは、演劇と見世物とを混合するものであり、この種の演劇の道具に使はれる戯曲こそ迷惑千万だといはねばならぬ。
 更に「台詞の云ひ易い」と
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