劇的伝統と劇的因襲
岸田國士
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)劇的《ドラマチック》
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批評家がいろいろの立場から作品の価値を論じることは自由であるが、文芸の種目(ジャンル)に関して、聊かも定見のないことを暴露するに至つては、甚だ心細い。
今日文芸批評の筆を取る人々のうちで、自分には詩の批評はできないと公言し、または、無暗にさうきめてかかつてゐる人が多いやうである。そして、世間は勿論、文壇のうちでさへ、誰もそれを不思議だと云はず、「詩が解る」といふことは、「文学が解る」といふことのうちにはひるのだとは信じてゐないやうである。
従つて戯曲なども同様に、所謂批評家の批評を受けずにすむかといへば、さうではなく往々「小説が解れ」ば「戯曲も解る」ものと思ひ込んでゐるらしい批評家のとんでもない評価を受けるのである。この理窟がどうも僕には解らない。
僕はここで、戯曲批評論をしようとしてはゐない。ただ、所謂、劇評家(クリチック・ドラマチック)をして、遂に戯曲評を断念せしめつつある現在の演劇界を見る時、われわれの如き、批評を専門としないものでも、少しは戯曲に
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