しいわけであるが、批評家の方でも少し考へてくれないと、喜劇を書いて悲劇の特性を与へることに腐心して神秘劇を書きながら社会劇の効果を挙げようと苦心する作家がないとも限らない。これでは何時までたつても、傑れた作品は書けないでせう。諸君に、此の無駄骨折をさせまいとするのが私の願ひです。
私は、また、必ずしも、様式《ジヤンル》の混合を認めない古典主義者ではありません。悲喜劇なる様式、乃至神秘的社会諷刺劇の存在をもわきまへてゐるつもりです。それも文学史的観点によつて整理されてこそ、権威ある批評が加へられるので、それにはそれの価値を測るべき特別な尺度を準備しなければなりません。
かういふと、中には、それなら、自分が脚本を書くとき、どういふ様式の脚本を書かうときめてかゝらなければならないのかといふ疑ひを起す人がないとも限りませんが、それとこれとは別問題で、きめてかゝつてもよし、かゝらなくつてもよしと答へるより外はない。それは要するに、霊感の支配を受くべきものだからです。
以上の注意に関連して、現代に於ける「戯曲の新しい歩み」を知ることが肝腎だと思ひます。私は前に、芸術は一つの例外を作る術だと
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