裏づけられてゐると見てよろしい。
 それならば、ほんとの劇作家が具へてゐなければならないもの――即ち、劇作上の art とは如何なるものか。それはどういふところから生れて来るか。それはどういふ形で作品の中に表はれてゐるか。この難問題を解決して、扨て、諸君はどうすれば、この art を体得し、驚嘆すべき傑作を物することができるか――といふ結論を引出すことが、此の文章の役目だとすれば、私は、聊か心細さを感じます。なぜなら、そんなことはちつともわかつてゐないからです。恐らく、誰もわかつてゐないでせう。
 古来作劇術(ドラマツルギイ)と称する書物が教へるところは、実は、此の art そのものには関係なく、たゞ僅かに、〔me'tier〕 の一端に触れたものに過ぎません。従つて、ドラマツルギイなるものは、文法書と撰ぶところはない。否、文法は、それでも、例外を認めてゐる。ドラマツルギイは、此の例外をすら挙げてゐないのです。
 凡て、芸術は、例外を作る術であるとも云へるではありませんか。劇作に於ても、その例外の生れるところを究めなくてはなりません。古来、戯曲の名作と称せられるものは、悉く、何等かの形で
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