といふことであります。
伝統的な日本の芸術のうちで今日一般に行はれてゐるものについて見ます場合に、さういふ芸術が曾ての日本の如何なる時代に、また如何なる環境においてはぐゝまれて来たか、さうして如何なる時代の如何なる階級の民衆によつて創り出されて来たかといふことを十分考へてみますと、これらはいづれも特殊な事情の中で創り出されたにも拘らず、なほかつそれらのうちに或る渝らざる日本のすがたとして考へられるものが見出されます。われわれはいま日本芸術のこの渝らざる或るものを見極めることが、一つの重要な任務ではないかと思ひます。音楽に関しましても、日本の伝統的な音楽の中からこの渝らざる或るものを見出すといふ努力が、今日では一層大切ではないかと痛感致します。
このやうに日本芸術独自の渝らざる部分を見極めると同時に、われわれが最近学びとつた西洋の芸術についても、十分にそれを日本人として消化し得る部分と、消化し得ない部分とをやはりはつきり見極めることが大切ぢやないかと思ひます。さういふ批判検討の上に立つて、将来何十年或は何百年か後に、新しい日本の国民芸術が生れて来ることを、われわれは十分の希望と期待をもつて今日から準備することができると信じます。
四
翼賛運動はいふまでもなく一つの国民運動であります。さうしてこの国民の翼賛運動に対して芸術家はどういふ風に協力しなければならないかといふ点を考へてみますと、この協力は、浅薄な考へ方によつてなされるときには、かへつて日本の文化の将来のために、非常な危機をもたらすやうな結果にもなると思ひます。目先のことに捉はれた時局便乗的な態度で安易に満足するのではなく、決然たる態度をもつて今日の国難の根柢に処する道を考へると同時に、芸術家として或は芸術を守り育てる責務をもつものとして、悠々国民の血となり肉となる仕事をし続けねばなりませぬ。
芸術関係者の、特に音楽関係者の新しい組織が必要であることは今さら申すまでもありませぬが、しかし形が出来ても魂がはひらぬといふことでは勿論困るのであります。
今日まで芸術家は、個人主義とか自由主義とかいふやうな思想の側から、自分の考へ方や態度に対する厳しい自己批判を加へてまゐりました。また今後といへどもこの批判を失つてはならないことは申すまでもありませぬが、この思想的自己検討と同時に、特に芸術家と
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