いふ問題よりも前に、取り敢ずこの四つの文化事情をどうしても健全なものとして解決しなければならぬ、少くともその解決をつけ得る準備だけでもしなければならぬと考へる次第であります。
音楽について兎や角申し上げることは、門外漢の私として甚だ僭越でありますし、またそれだけの準備もありませぬが、たゞ現代の日本の芸術部門のうちで特に西洋の影響を受け、また西洋の模倣を採り入れた芸術部門におきましては、今日のこの大きな国民全体の文化運動が起らうとしてゐる事情の中で、今後自分の道をこれらの芸術部門がどういふ風に押し進めて行くかといふことは、これは各部門ともお互によほど慎重に考へてみなければならぬ問題だと思ひます。われわれは今この国民的な重大時機を前に致しまして、日本人であるといふ自覚を一層高められることは事実であります。これは誰からも強ひられるのではなく、われわれの心に湧き上る、おのづからなる力でありますけれども、われわれが今日まで芸術家として歩んで来ました道を考へますと、それがもし西洋芸術の模倣や或はその追随のうちにのみ終始してゐたとすれば、これは今日のわれわれの自覚からして、どうしてもその中から抜けださなければならぬ時機であると思ひます。
音楽にしても、美術にしても、或は文学に致しましても、日本人として西洋の芸術を基礎にしてやつて行く場合、われわれはそれを近代における世界的芸術の典型として考へ、これを自分たちの文化を創造する要素や参考資料としようとしてゐるにすぎないので、われわれの血液中で、それがいつまでも全く非日本的なものとして残つてゐるとはどうしても考へられないのであります。この点、私どもは、日本の文化、日本の芸術を豊かにし、色々な意味でこれを近代化して行かうとする立場から申しますと、益々外国の芸術を学び取り、且これを十分消化するといふ態度は、今後といへども決して変へる必要はないと固く信じてをります。かういふ態度はわれわれの歴史がすでにわれわれの民族の矜として、しかもわれわれの民族の特色として実際に立派に証明してゐるのであります。
とくにこゝでわれわれが注意を払はねばならぬのは、日本の伝統的な芸術、特に音楽においては邦楽といふものに対して、洋楽専門のかたがたの関心のもち方、或はそれに対する結び附き方、特にそれに対する批判につきましては、更めて研究する値打があるのではないか
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