芸術と金銭
岸田國士
芸術によつて「名」のみを得たものが一番多い。
「恋」を得たものも少くない。
「富」を得たものは、数へるほどしかない。
自分の作品を「金」に代へることは、一つの方便である。芸術的制作品が、他の商品の如く、需要供給の法則に従つて、それ自身一つの価格を生じるといふのは社会的錯覚である。故に、機会さへあれば、芸術家は、その労力の報酬としてゞなく、単に、作品の唯一無二なる特性によつて、その作品を「利用」するものに対し、如何に多額の謝礼を要求しても差支へない。――とまあ、これが原則だと思つてゐればいゝ。
実際問題として、芸術家は、その所謂「脱俗振り」によつて自ら高しとすることは勝手であるが、さういふ風潮を招くやうな対他的手段を廻らす必要はない。「金銭のことを口にしない」ことは、「金銭のことを問題にしない」ことにならないのみならず、却つて問題にし過ぎてゐるのかもわからない。
ロダンは、自分の作品を一銭でも高く売ることにあらゆる根気と算段とを惜まなかつたと伝へられるが、これを以て芸術家としてのロダンを侮蔑する一部の人々に私は与することはできない。
現代に於て、
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