ものか。
「改造」は新進池谷信三郎氏の「帰りを待つ人々」を紹介した。相当の期待をもつて読んだが、果してコンポジシヨンの上に大胆な新味を見せてゐる。と、思ひながら読んでゐるうちに、部分部分の技巧は寧ろ一種のマンネリズムに堕してゐるのに気がついた。各種の人物を対立させて、断片的な幻象《イメージ》の交錯を企図し、そこからコンチエルトに見る効果を心理的に誘致しようとした作者の野心は、僕の尊敬おく能はざるところであるが、その幻象の、その心理的ノートの不統一と不確かさとが、惜むらくは、全篇の印象を支離滅裂なものにしてゐるやうである。僕の見るところでは、作者は、第一に言葉の選択を誤つてゐる。その言ひ方がわるければ、言葉そのものの好悪にとらはれ過ぎて魂の声に耳を傾けることを忘れたらしい。それがために、人物それ/″\の色彩から「絵画的リズム」をさへ引だすことができなかつた。この種の舞台に、それを欠くことは致命的な痛手である。作者は、恐らく、人物の幾人かをして故《ことさ》らに空虚な、大げさな言葉を語らせて、その言葉の裏から、間から「あるもの」を感じさせようとしたのだらう。その「あるもの」を、作者は、一体、はつきり見てゐるのだらうか。僕の疑問はそこにある。芸術的危機に立つこの作者の再考を求めたい。
色調と時代的意識の差こそあれ、つとに「帰りを待つ人々」の手法をさりげなく取りいれて、見事成功してゐる作家に久保田万太郎氏がある。曾て「月夜」を書き、今また「通り雨」を書いていつもながらの腕のさえを示してゐる。久保田氏は、何よりも「あいさつの詩人」である。
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……(急に)おさきへ失礼いたします。――(不意を食つたかたちに)おかへりですか? ――へえ。――いゝぢやありませんか、まア。――もう少し……。――へえ、有難うございます。――一寸これから、わきへ一けん寄つてまゐりますから……。――さうですか。――どうも有難うございました。――いづれ改めてうかゞひます。――どうぞお宅へよろしく被仰つて下さい。――おそれ入ります。――いえ、もう、子供のことでございますから、……。――(しみじみ)さぞ、しかし、お内儀さんがお力落しでせう。――……。――ちやうど、いま、可愛さざかりで……。――(しみじみ)全く死ぬ子眉目よしだ。(間)――では、御免下さいまし。(榎本と岩井屋に)どうぞごゆつくり……。――どうもこれは……。――そのうち、また、御邪魔に出ます。――どうぞ……。ぢやア御免なさい。――御免を……。
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これが、――もちろんこれだけ読んだのではわかるまいが――決してあいさつのためのあいさつではないのである。今頃、こんなことに感心してゐると、作者に叱られるかも知れないが、久保田氏でなければ弾けない一種のハルプを、僕は昔から聴くのが好きだ。同じものばかり弾いてゐるといふ非難は非難にならない。同じハルプでも弾くたびに曲が違ふ。たゞ久保田氏は、三味線で「汽笛一声」を弾く芸者ではないのである。まして、大正琴で……おつと、これは余計なことである。
なるほど、久保田氏の好んで取扱ふ主題は、滅び行く世紀の相《すがた》と、それにまつはる特殊な文化の名残である。その態度が勢ひ懐古的になるのは当然である。さういふ作家もあつていゝではないか。しかも、あわたゞしい流行の推移をよそに静かな(少くとも表面は)過去のロマンスを歌ひ続けてゐるかのやうに見える作者――この作者こそ、現代日本の劇作家中、もつとも、歌舞伎劇の伝統から離れて本質的に西欧の戯曲美を摂取した劇作家の一人であることは、寧ろ皮肉といふべきではないか。
佐藤春夫氏の発表される戯曲を、僕は待ちわびてゐるものゝ一人である。今日まで、特に佐藤氏が優れた戯曲作家であることを証明した作品は一二に過ぎないけれど、僕は早晩同氏の手から、現代日本のもつとも光輝ある劇的作品が生れるであらうことを期待してゐる。「中央公論」の「巣父|犢《こうし》に飲《みづか》ふ」は、遺憾ながら、戯曲としては未完成作品である。殊に作者が若しこれをもつて、東洋流の隠とん的哲学を賛美するものと解するならば、僕は、青年作家佐藤氏のために、やゝ心暗きを覚える。しかしながら、これは、あくまでも絶対的見地からである。「巣父犢に飲ふ」の一幕は、片々たる世上の商品的小説戯曲の類と同列に置くべきものではない。創作の動機は、よし、多少楽屋落的であらうとも。
さて、これくらゐでやめて置かうと思ふが、たま/\眼に触れた一篇の作品を基礎にしてものを言ふのであるから、日頃その作家に対して抱いてゐる敬意をさへ十分にのべ得なかつた憾みがある。が、これは果して次の機会に埋合せができるかどうか。
×
いよ/\最後に結論を述べなければならない。僕は、第一に、この仕事から、偶然ではあるが、一人の、未だ世に知られざる才能を発見し得たことを悦ぶものである。「街」の同人、坪田勝氏こそは、われわれの時代が見落してはならない劇作家であらう。
然しながら、僕の望んでゐたものが、坪田氏によつていくらか充たされはしたものゝ、「トロイの木馬」一篇が、僕の求めてゐた戯曲そのものであるとはいひ切れない。僕の勝手な注文が許してもらへるなら、坪田勝氏の「言葉」をもつて、川端康成氏の「第四短篇集」(文芸春秋)が戯曲化された時、僕は、無条件に頭を下る。
なほ、これは命ぜられた仕事の範囲を超えるやうだが、文芸時代で稲垣足穂氏の「ちよいちよい日記」といふ小説を読んで感心した。感心したゞけでなく、一寸した発見をさへしたのである。すなはち、稲垣氏は、立派に戯曲の書けるんだといふことを。あの会話が生みだすユニツクな劇的シインを見給へ。一疑問符のかもしだす幻象《イメージ》の深さを見給へ。しかしこれは、一寸した発見に過ぎない。なぜなら、これは稲垣氏に何ものをも加へることにならないであらうから。
連日、傍若無人な言辞をろうして、他人の作品を褒めたりけなしたりした男が、事もあらうに、同じ月の「女性」所載「葉桜」の作者であることは誠にもつて笑止千万である。本来ならば、泣いて馬謖を斬るべきところであるが、それではまた、あまりに芝居が過ぎるとの非難もあらう。よつて、畏友T君をしていはしめる――あの母親は、男性的な女性だといふよりも、女性的な男性だね。それから、幕切れは、もつと、ストイツクな幕切れであつて欲しいね。娘が泣き崩れるのは困るね。――こと/″\く賛成である。
かうして見ると、月々如何に多くの小戯曲が、生れては消え、生れては消えしてゐることだらう。自分の書いた戯曲が永久に舞台に上らないことを知りつゝ、平然と戯曲を書き続けてゐる一群の若き作家があることをも、世人は知つてゐなければならない。
底本:「岸田國士全集20」岩波書店
1990(平成2)年3月8日発行
初出:「東京朝日新聞」
1926(大正15)年4月14、15、16、17、20、21日
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年10月6日作成
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