はつきり見てゐるのだらうか。僕の疑問はそこにある。芸術的危機に立つこの作者の再考を求めたい。
色調と時代的意識の差こそあれ、つとに「帰りを待つ人々」の手法をさりげなく取りいれて、見事成功してゐる作家に久保田万太郎氏がある。曾て「月夜」を書き、今また「通り雨」を書いていつもながらの腕のさえを示してゐる。久保田氏は、何よりも「あいさつの詩人」である。
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……(急に)おさきへ失礼いたします。――(不意を食つたかたちに)おかへりですか? ――へえ。――いゝぢやありませんか、まア。――もう少し……。――へえ、有難うございます。――一寸これから、わきへ一けん寄つてまゐりますから……。――さうですか。――どうも有難うございました。――いづれ改めてうかゞひます。――どうぞお宅へよろしく被仰つて下さい。――おそれ入ります。――いえ、もう、子供のことでございますから、……。――(しみじみ)さぞ、しかし、お内儀さんがお力落しでせう。――……。――ちやうど、いま、可愛さざかりで……。――(しみじみ)全く死ぬ子眉目よしだ。(間)――では、御免下さいまし。(榎本と岩井屋に)どうぞごゆつく
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