、創造的中枢の働きをする一個の詩的精神に違ひないのだ。
 このナイィヴな比喩を、思ひ切つて、もう少し敷衍させて貰ふ。
 この両面は、文学的活動の総ての面ではないが、やや対蹠的な位置にあるもので、その活動期は、自然に委す時は、作家の年代に応じて、「小説面」が先へ、「戯曲面」がやや後れて来るものであるらしい。これは、前に述べた創造中枢の訓練が、先づ「抒情詩の面」を通じて行はれ、次で、小説の面といふ順序を踏むのが普通であり、戯曲の面は最も複雑で殻が固いといふやうな理由から、その面を通じては、余程の天才か、文学的壮年期に達した作家でない限り、内にあるものを滲み出させ、外にあるものを吸収することが困難なのである。そこで、大方の凡庸な才能は、若年にしていきなり戯曲に手を染めたが最後、ただ、その面の処理と飾り立てに忙殺され、遂に、僅かでもあつた文学的創造の芽を、むざむざ枯らしてしまふのである。
 この一項の結論を急げば、年少にして文学に志すものは、先づ抒情詩の面に熱情を集中するのが自然であるが、偶々、これを飛び越えて、小説の面に興味が触れたとしても、それはまだ、多少の「背伸び」によつて、「小説らしき
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