権威もないことになる。これは云ふまでもないことである。
 この根本的価値こそは、ここで云はうとする「戯曲以前のもの」なのである。
 ある人は云ふであらう。その根本価値とは、つまり作品の「内容」を指すのではないかと。しかし、「内容」といふ言葉は使ひたくない。なぜなら、この言葉には「在るもの」といふ意味が先に立つて、「把握したもの」といふ意味が稀薄になるからである。客観性のみ伝へられて、寧ろより主要な主観性が閑却せられる恐れがあるからである。
 愛し合つてゐた男女が結婚する。しかし、間もなく、男には別の女が出来た。すると、前の女は、絶望のあまり海に投じて死ぬ。これは、戯曲の「筋」であると云へるかもしれない。しかし、決して「内容」ではない。それならば、作者が若し、この戯曲によつて、男女の恋愛に対する、宿命的な心理傾向を示さうとしたと仮定すれば、それはなるほど、この作品の「内容」であると云ひ得よう。ただ、それは、あくまでも「内容」であつて、作品の「創造的価値」とは何も関係はない。
 それならば、作品の「根本的価値」を左右するものは何かと云へば、この問題に対する作者の「興味のもち方」である。「態
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