品に興味がもてないとか、もてるとかいふのも、つまりは、作家と鑑賞者との隔り――芸術的天分の相違――といふことに帰着するわけなのである。
 この「興味のもち方」は、作品を通じて見る時は、云ふまでもなく「表現」と離れて存在はしない。また、これだけを問題とすることも不当のやうではあるが、実際、われわれは数多の作品中に、ここまで論じつめなければ、その価値を批判することができないやうなものを見出すのである。つまり戯曲とか小説とかいふ作品そのものの価値批判を、真面目にする気にはなれないほど、さういふ作品を発表する作家の芸術的天分に疑ひをもつことが、屡々あるのである。
 戯曲論としては、甚だ見当違ひのやうではあるが、戯曲作家の第一免許状を、「対話させる術」と断じたその意味に於て、私は将来の劇作家に「戯曲以前のもの」を要求するのである。(一九二五・五)



底本:「岸田國士全集19」岩波書店
   1989(平成元)年12月8日発行
底本の親本:「現代演劇論」白水社
   1936(昭和11)年11月20日発行
初出:「演劇新潮 第二年第五号」
   1925(大正14)年5月1日発行
入力:tat
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