戯曲の生命と演劇美
岸田國士

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)幻象《イメエジ》
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 日本の新劇が、従来西洋の芝居をお手本として「新しい演劇美」を取り入れようとした事実は、今日誰でも知つてゐることであるが、西洋の芝居のどこが面白いかといふことになると、それは誰もはつきりしたことが云へず、結局、脚本の文学的価値と、「演出」なる特殊な技術にその重心をおいて、万事が解決されたものの如く考へてゐたのである。勿論、俳優の演技も問題にされないわけではなかつたが、これは要するに「演出家」の意図に従つて動作し、与へられた「台詞」を忠実に暗誦すれば、先づよいとされてゐた。俳優の素質及び才能は、甚だ消極的な標準を以て云々され、所謂舞台度胸のある素人が、意外な賞讃を浴びて演出家の鼻を高からしめ、歌舞伎乃至新派劇畑の俳優が、何等「新劇的」教養なくして新劇の舞台に立ち、これが、現代劇もこなせる俳優といふ折紙をつけられる有様であつた。
 かかる俳優によつて演ぜられ、かかる演出家の手で「ひん枉げられる」脚本の文体は、当然、最初から重視される筈はないのである。翻訳劇は原作の「対話としての魅力」を閑却されるのが常であり、創作戯曲は勢ひ、一と通りの意味さへ通ればよい「白」で書かれ、かくて、舞台の「言葉」は、「動作」の従属的地位に置かれて、遂に「新劇」は演劇としての「生命」を希薄にし、やがて、演出家がゐなければどんな芝居もできない俳優を作り上げ、その演出家さへ、今になつて、役者がへたで芝居がやれぬと云ひ出した。
 私は十年前、築地小劇場の旗揚興行を評して、外国劇上演に当つて、「言葉」を通じての戯曲美を逸する勿れと云ひ、俳優養成の先決問題なることを主張し、将来、家を建ててから柱を削るやうなことになるぞと予言しておいた。
 当時私は、外国劇の上演に反対した覚えはない。創作劇が演出家の演出欲なるものを唆らぬといふ理由も首肯できた。しかし、外国劇の「本質的生命」を逸しては、外国劇上演の意義が甚だ局限されるのみならず、わが新劇が、西洋劇から学ぶべきものを学ばず終る不幸を極度に懼れたのであつた。
 私のこの意見は、忽ちにして当事者を怒らせることにしか役立たなかつたが、今日の「新劇」が、十年一日の如く同じ水準に止つてゐるのを見て、私は、更にこの主張を繰り返さねばならぬ。
 最近、ある新帰朝者の欧洲演劇観なるものを読む機会を得た。その人は、演劇の専門的研究を目的として西洋へ渡つたらしいが、その感想のうちに、次のやうな意味のことが語られてゐる。偶々巴里で観た芝居が、仏蘭西語のわからない自分にも非常に面白く感じられ、「白」の意味は通じないに拘はらず、俳優の演技を通じて、その芝居の筋や人物の感情もほぼわかり、全体として、まづ観劇の興味を十分に満たし得たと云ひ、且つ、さういふ結果からみて、「演劇に於ける言葉の役割といふものは極めて微々たるもので、眼に愬へる要素さへ保たれてゐれば、舞台は完全な魅力を発揮するものだといふことを知つた」と大胆に云ひ切つてゐるのである。
 日本の演劇専門家は、今もつて、この意見に賛成するものが多からうと思はれる。ところが、実は、この理窟には、根本的な自家撞着が含まれてゐる。
 日本の芝居と西洋の芝居とは、そこが事情の違ふところで、西洋の芝居は、概して、「白」の意味がわからなくても、「白」の味がわかるのである。
「白」がわかるといふのは、この「意味」がわかるといふことだけではない、「白」はすべて、はつきりした表情をもつてゐるのである。この表情は、音声として耳に愬へるものと、俳優の顔面姿態によつて眼に愬へるものとがある。この表情は、決して「白」から独立したものではなく、広い意味に於ける「舞台の言葉」の中に含まれるものである。つまり、ある場合には、「白」の意味がわからなくつても、その表情の正確さ、豊富さ、微妙さによつて、その意味をさへ推断せしめる何物かをもつてゐ為のである。これが、「白の意味がわからなくても芝居が面白い」原因であり、西洋演劇に於ける「言葉」の役割の重要性である。
 欧米の発声映画が、最初の時期にあつて、その国際性を疑はれてゐたにも拘はらず、続々熟練な舞台俳優が参加するに至つて、意外にも、言語的障碍を突破し得たといふのは、実に、この間の消息を語るものである。
 わが国に於て、月並な白の類型化に腐心する「新派」、更に、七五調を基礎とする「台詞廻し」の単純な音楽的効果に満足する「歌舞伎」劇が、演劇の近代的魅力とその発展性を喪失したことは当然であるが、多少とも現代の文化とその複雑な心理的現象を描き出さうとする「新劇」の舞台が、戯曲の本質たる「言葉」の陰翳を無視し、その肉声化によつて生ずる幻象《イメエジ》の絶対的価値を等閑に附
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