て、その気質において、一種の郷土的特色をもつてゐることに気づくと、私は、自分の場合においてのみ、それが例外であるとは信じられない。現に私の声を聞いて、紀州人の声だといつたものがあるくらゐだ。
遠い祖先のことは暫らく措き、現に私の祖父母並に両親はいづれも和歌山市の生れで、父は若年にしていはゆる学笈を負うて都に出た組であるから、ストリンドベリイ的懐疑思想を交へさへしなければ、私の血液は紛れもなく、紀州人のそれを受けついでゐると信じられるのである。
その上、もう物故した父の方は、それほどでもなかつたが、母の方は今日でもなほお国弁の頑固な保有者で、長く家庭にあつた私の弟妹どもは、知らず識らず、日常の言葉のはしばしにその影響を受けてゐるといふ有様だ。
一方、さういふ関係から、私は今日まで、比較的多くの紀州人に接してゐる。また、はじめて会つた人間でも、それが紀州人であるといふことがわかると、やはり、それだけで特殊の興味をもつやうに習慣が養はれてゐるのである。さうだとすると、これでもうやや紀州人たる資格を備へてゐることになるのだが、さて、最後の一点で、私は、恐らく、その資格の重要な部分を失つて
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