この二つの「主義」は、現代の教育に於ける最も痛ましい痕跡を国民の性情の上に印してゐるやうに思はれる。しかも、これは学校教育ばかりでなく、その延長でもあらうか、社会各方面の指導的言論のうちにこれをみるのである。
 日本国民の、本来、与へられたもの以上を与へ、命ぜられることをそれ以上になさんとする、かの闊達恬淡な気宇は、教育こそがこれを尊重すべきであると思ふがどうであらう。

     義腹、論腹、商腹

 浅学にして私は、かういふ言葉が徳川時代にあちこちで用ひられたといふことを知らなかつた。
 例の殉死の流行した時代、主君の病死に際してさへもその後を追ふ家臣が続々と現れ、遂に幕府は禁令をもつてこれを制したといふ話は、たしかに聞いたことがあるけれども、その当時、この流行に対して、かくも鋭い批判を加へるものがあつたのは、流石に日本人は隅におけぬといふ気がする。
 切腹といふ行為は、もちろんそれ自身として人間力のある極致を示したものであり、客観的にも悲壮といふ言葉以外にこれを形容することは困難であるが、さういふ神聖な行為さへも、一旦流行となると、その本質から遥かに遠い動機によつて遂行されるといふ不可思議な現象を、三百年以前の日本が既にこれを示してゐたのである。即ち、義腹とは、主に称する義によつて側近たるの務めを死後にまで果さうとする、云はゞ宗教的信念に基くもので、これは、本物の殉死である。論腹とは、主死すれば臣死せざるべからずといふ論法に依つたもので、一種の理攻めであり、時によると、殉死者を一人も出さなかつたと世間で云はれるやうなことがあつては、死んだ主人もさぞ面目なからうといふやうな考慮から、自ら進んでその一人となる老臣があつたであらう。
 ところで、第三の商腹とは、文字通り、算盤づくの切腹である。殉死者の世襲ぎは間違なく禄高を上げられ、主家の覚えはことのほか目出たく、うまくいけば幕府の恩賞にでも与らうといふやうな抜目のない追跡自殺を指すのださうである。何時の時代にも極めて打算的な人物はゐない筈がなく、加俸を望まない武士は、これも殆どなかつたに違ひないけれども、たゞそれだけの理由で、切腹までしてみせるとは、これこそ「ハラキリ」を辛うじて理解する外国人の常識ではとても考へられないことである。彼らには考へられないことだが、しかし、それくらゐのことはしさうだと、われわれに
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