ことが一つである。
これはいつたいどういふことかと云へば、さういふことを一番言つて欲しい人が、なかなかさういふことを言はぬから、まあ、自分あたりが、といふ面持でそれが語られてゐるからだと思ふ。
もちろん自信がない筈はない。つまり、自信があることを意識しすぎてゐる者の、激しくはあるが、どこか頼りない調子が響いて来るのである。私はつくづく思ふ、その人の一と声で、青年の瞳が輝きだすやうな思想家を、隠れ家から今すぐに引き出さねばならぬ、と。
「代理」の声では青年はなかなか満足しない。そして、「代理」は、今や多きに失しやうとしてゐる。
頼もしさ
近頃、なにが一番私の心を惹くかと云へば、すべてなにによらず「頼もしい」ことである。人についてはむろんのこと、その人と無関係ではあり得ない、眼に触れ耳に聞く世の中の大小ありとあらゆる事象を通じて、私は屡々「これだ」と胸の中で叫びながら、同じ感動に快い瞬間を過すことがある。それが、この「頼もしい」といふ一点に知らず識らず私の好みが傾いてゐるのに気がついた時、凡そ、今は、誰でもさうではあるまいかといふ風に考へた。
しかし、全国民がひとしく同じ心を心としてゐる筈のこの時局下でさへ、何を「頼もしい」とするかは、ずゐぶん人によつて違ふと思ふ。
私が特に云ひたいことは、ほんたうに「頼もしい」と感じられるものが、実は衆目の集るところ、世間の表面に浮びでたところよりも、ふと何気なくあるもの、ぢつと底に沈んでゐるもののなかに、寧ろはつきり認められるといふことである。
これは私の天邪鬼が言はせるのではあるまい。ぱつと人目をひくもののなかには、もう既に「頼もしさ」のある条件が欠けてゐるやうな気さへする。
その意味で、当節、最も「頼もしく」私に思はれ、また事実、さうであるに違ひないのは、無名の戦士を筆頭として、多くは年若き同胞のうちにみられる「落ちついて順番を待つ」といふやうなあの黙々とした姿である。
また、一方、なにやかやと追ひたてられるやうな日常生活の隅々で、私は、嘗ては気のつかなかつた日本人の「不覚をとるまい」とするつゝましい「嗜み」のあらはれを、だんだん多く見かけるやうになつたことを注意したい。
文学に於ても、語られてゐること以上に、作家のさういふ表情が、文体に見事な自然さを与へはじめた。品位といふものはこゝにもあつたの
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