。子供がそれをみつけて、いま駐在へ行つたんですつて……」
お巡りさんは、話の腰を折られ、それでも元気をつけて起ち上つた。と、その姿が部屋から消えようとする時、画家は、お巡りさんの後ろから声をかけた。
「握り飯を持つてつたらどう?」
お巡りさんは、そのまゝ、下駄をつつかけて、峠へと走つた。
画家は、ぢつとしてゐられず、女中にさう云つて握り飯をこしらへさせ、それをつかんで、これも峠へ急いだ。
翌日は朝から、お巡りさんが画家の部屋へ顔を出した。
「やつと送り出した。あゝあ、僕は、もう巡査は勤まらんと思つた」
「どうして?」
と、画家は訊いた。
「どうしてつて、君にしてやられたからさ。握り飯といふ声はたしかに聞えたつもりだが、その時は、なんのことかわからなかつたよ。だつて、行き倒れの処置なんぞ始めてだからねえ。法規になんとあつたか、それを想ひ出しながら駈け出したんだもの。それでも、一所懸命なんだぜ、職務上、手落があつてはならんと思つて……」
お巡りさんの、口惜しさうな、そして悄げ返つた様子を、画家は面白さうに眺めながら、
「だつて、立派に職責は尽したんだらう?」
「うむ、尽したと云へば云へるが、さうでないと云へば、さうでないとも云へる」
「お巡りさんとしての?」
と、画家は念を押した。
「さうさ、警官として、行き倒れの命は救はんでいゝといふ法はない。君が握り飯を持つて来なかつたら、あいつ、助からなかつたよ」
画家は始めてわかつたといふやうな顔をし、お巡りさんの真剣な眼差しに見入りながら、ふと、胸をつまらした。
「僕は絵かきで、ほかになんにもすることはないぢやないか」
慰めるつもりで、画家は、呟いた。
「僕は警官だ。ねえ、人民の生命財産を保護するといふのが第一の勤めなんだ。僕は平生、神にさう誓つてゐながら……」
お巡りさんが、いよいよくどくならうとするので、画家は、口笛を吹きだした。
話はこれだけである。私は、もちろん、この画家は当り前の「人間」だと思ふ。しかし、お巡りさんは、当り前のお巡りさんでないばかりでなく、なかなかさうざらにはゐない「人物」だと思ふ。この方《はう》を実は美談の主として、私は推賞する所以である。
この話は、もう一つの、ある医者から聞いた話に通じるところがありさうだから、これも序に紹介する。
ある婦人がお産をして寝てゐた。産科の
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