れに反し、コルネイユは、西班牙劇を手本として、筋の込み入つた、恐ろしく山の多い劇的物語を書いたのである。この方は、将来、シェイクスピヤによつて代表される複雑派の中に合流さるべき一人である。
その次に、モリエエル(〔Molie`re〕, 1622−73)はどうかといふと、これは、ラシイヌと並んで、仏蘭西劇の伝統を背負ふ大喜劇作家であるが、彼の喜劇の優れた特質は、所謂「高級喜劇《オオト・コメディイ》」と呼ばれる性格解剖の文学であり、バルザックの「人間喜劇」に通ずる最初の指標でもあるから、近代仏蘭西諷刺劇の登場人物は、多少ともモリエエル的扮装を施されてゐると考へられないこともない。
その上、ラシイヌの典雅流麗な詩的格調が劇的文体の見事な創造を妨げなかつたことは、特に注意すべきで、これまた、モリエエルの自由奔放な即興的諧謔が、人間生活の苦味に浸つて、その色彩を鈍らさなかつたことと共に、後世の作家は、そこに多くの学ぶべきものを発見したのである。
ところで、この仏蘭西劇の神ラシイヌには、やはり、多くの人間と同様、公平に見て少くとも三つの欠点がある。
第一に、「言葉の綾」が今日から見て、少々
前へ
次へ
全56ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング