ト、別にCの特質が生れるものなのである。即ち、イプセンに於ては、近代劇作家としてのあらゆる才能が、渾然としてその作品の偉大な力を築き上げてゐるのである。
 戯曲家としてのイプセンは、かういふ見方をしなければ理解し難き存在であると私は思つてゐる。イプセンの思想や、その創造になる各種の典型的人物について論ずるのもいいが、それだけでイプセンの戯曲は味へない。
 そこで、イプセンの仏蘭西戯曲壇に及ぼした影響についても、決してその局部的なものを見ようとしてはならぬ。無論、中には、キュレルの如く、所謂「イプセン流」と称せられる思想劇に向つたものもあるが、この「考へさせる芝居」の勃興は、近代劇の一エポックを作りはしたが、やがて、その反動も生じ、理論的にも実際的にも、戯曲論上の疑問を生むことになるのである。
 が、兎も角も、恋愛劇乃至世相劇全盛の仏蘭西の舞台に、幾分でも「意志」と「運命」の悲劇が現はれだしたこと、これはたしかにイプセンを初め北欧作家の感化であらう。
 自由劇場は、その他、外国作家として、主に独のハウプトマン、露のトルストイ、等を紹介したが、自由劇場の運動は、忽ち、全欧洲に演劇革新の機運
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