トなかつたが、詩形に若干の自由を求めた。また「長台詞を封ぜよ。人物をして自ら語らしめよ」と云つた。彼は、舞台上に人間の全貌を描き出す野心を示した。政治的英雄が同時に家庭の玩具であり、戦場の勇士が、下手な詩人でありといふ風にクロンウェルを取扱つた。その意図は兎に角、それがためにこの戯曲は上演不可能なものとなつた。その後で「マリオン・ドロルム」を書き上げたが、これは思想過激とあつて検閲が通らなかつた。一八三〇年、遂に、「エルナニ」の幕が開いた。人、これを呼んで「エルナニ」の戦ひと云ふ。それほどこの戯曲初演の当夜は、物情騒然たるものがあつた。見物席は敵味方に分れて怒号し、弥次と喝采が入り乱れた。が、最後に、浪漫主義の勝利が宣せられた。
 彼ユゴオは、その実、生涯を通じて、真の劇作家となり得なかつた。詩人としての巨人的歩みにも拘はらず、戯曲に於ては、徒らに空想が言葉の虹を撒き散らすにすぎず、やうやく、ラシイヌの十二韻詩《アレクサンドラン》が、一世紀を跨いで彼のペンに蘇つたにすぎぬのである。かくて古典主義劇の残塁に馬を進めながら、彼は遥かに先輩ラシイヌに脱帽したと私は信じるのである。その少し以前
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