ヤ無一物となり、路傍に餓死するに至るまで、彼ほど世相の表裏に通じ、社会の上下を泳ぎ廻つたなら、そこから、無限の劇的霊感も受け得られようではないか。
彼はしかし、それほどの傑作を書きながら、なんとなく人が真面目に取らないのである。つまり、ボオマルシェは天才だといふのを聞いて、多くの人は、あんな巫山戯た天才がゐるかしらと思ふのである。それでも、ある批評家は、彼に「近代劇の父」といふ名を奉つた。と同時に、「ボオマルシェ、又の名はフィガロである」と宣言する。フィガロは皮肉で、敏捷で、図々しくて、マテリアリストで、磊落で、意地ツ張りで、傷み易い心の持主である。彼は、たしかに、五十年ばかり早く生れすぎたといふ説もある。「近代劇の父」といふ名はそれでわかるとして、またかうも云へるのである――「ボオマルシェはたしかに、仏蘭西劇を沈滞から救つたが、その救ひぶりがあまり鮮かであつたのは、彼の作品中に、演劇の堕落が悉く約束されてゐたからだ」と。
なるほど、近代に於ける「うまく作られた芝居」は、悉く「フィガロ」の落し胤に相違ないのである。
仏蘭西革命が総てを破壊した如く、ボオマルシェの投じた一石は、劇壇
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