学的発展が著しく目立つた写実主義擡頭期に於てさへ、「戯曲」が常に「演劇」のために作製され、未だ嘗て、「戯曲」のための「演劇」が何人の頭脳をも支配しなかつたといへるのである。更にもう一歩を進めて云へば、舞台を予想しない戯曲、所謂「読む戯曲」の発生を促がした動機さへも、十分に闡明されず、「戯曲」なる文学の一ジャンルは、小説と詩の間を低迷して、自ら信ずべき領域を遂に自覚し得なかつたと考へられる。
 一般に「劇的感動」と称せられるものも、なるほど古今の傑作中からこれを受けることが尠くないが、この感動が純粋な芸術的感動であるかどうかは、案外説明のつきにくいものである。まして、この「劇的感動」なるものは、常に優れた戯曲の価値を決定せず、殊に、喜劇に於て、これを本質的生命と見做すことはできないのである。してみると、「劇的」なる言葉の内容は結局、「悲劇」を演劇の代表形式とし、演劇論の骨子が、実は「悲劇」の上に組立てられた時代の名残りを伝へてゐるともみられ、それと同時に、演劇の大衆性といふことが、戯曲の文学的評価に知らず識らず影響し、通俗的興味をつなぐための、物語の主題乃至技巧上の必要条件が、真の芸術的要素と混合された結果ではあるまいかと思はれる。
「生命による動き」を標榜した自然主義劇の行きづまりは、所謂「うまく作られた芝居」を排したことによつて、ある意味での「劇的要素」を軽視したからだといふ説は誤りである。それどころか、自然主義劇の大多数は、「劇的」境遇を濫用さへしてゐるのである。そこに堕落があり且つ矛盾がある。勿論、文学的抱負に於て敬意を表すべきものさへ、殆ど共通の過失を犯してゐる。即ち、戯曲に於ける「散文的なもの」の重視である。散文精神は「戯曲」によつても生かされ得るといふ誤謬を信じてゐるのである。
 仏蘭西の名小説家、フロオベエル、ゾラ、モオパッサン、ゴンクウル、等々は、何れも戯曲に筆を染めて、惨めな結果を示してゐる。これらの作家は、何れも、あつさり舞台を見限つたらしいのは賢明といふべきである。
 これらのグルウプから、ただ一人、ジュウル・ルナアルが、「生命による動き」の戯曲を、天衣無縫の形に於て示し得た。異例とすべきである。なるほど、彼は、詩的にして、且つ散文的なる、一種独特の精神を創造し、完成した。彼の戯曲が、偶然、その精神の故に、新しき意味に於ける「戯曲の本質」を捉へ
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