於て、芝居として通用しないものになる。
が、そこまで行かない先に、演劇革新運動は、同時に、演劇の商業主義化に対する反撃となつて、芸術劇場の運動となり、高踏的小劇場の企画となつて、益々観客を制限するのである。
そして、偶々、新浪漫派の舞台的成功などあつて、小劇場派と大劇場派の分離が行はれる。大劇場派とは、営利的通俗派には走らないが、演劇の民衆性を強調して小劇場派の貴族主義的傾向に対立するのである。
ここで、近代劇の中に、民衆劇運動と称するものが加はつて来る。民衆劇であるから、一面に社会劇風の色調をも含むのであるが、それは次第に、擬古的な、原始的な、素朴味を貴ぶ祭典劇風なものに変化する。
小劇場主義と大劇場主義は、両極端に於て、心理的要素と感覚的要素とに分裂し、「聴く芝居」と「観る芝居」、「対話劇」と「スペクタクル」とに対立するのである。
その間に於て、故ら小劇場主義とか大劇場主義とかを標榜せず、単に、演劇の革新を目指して、それぞれ独創的な理論乃至新奇な試みを提示したもののうち、或は、演劇は綜合芸術なりとの説、或は、舞台装置の美術的効果に力点をおくもの、或は、演劇の革新は、舞台の完全なる機械化にありとなす説、或は、演劇芸術は、唯一人の芸術家の想意に統一さるべきものであるといふ説、即ち、戯曲家と装置家と舞台監督とを兼ねた一つの頭脳が、俳優を人形として操るところに真の演劇が生れるといふ説、その他、演劇より文学を排除し、「動性《デイナミスム》」による舞台の立体的表現によつて、演劇独自の物語を仕組まうとする企て等が相次いで行はれた。
が、結局、演劇は演劇自身によつて再生するよりほか道はないことに気づき、「演劇の再演劇化」といふ合言葉が、流行するやうになつた。
それはつまり、演劇革新の名によつて、様々な非演劇的要素を舞台に横行せしめた結果、遂に演劇本来の面目を失はうとする傾向を生じたからで、「演劇をして再び演劇たらしめよ」といふ叫びは、要するに、「演劇の本質を正しく認識せよ」といふ警告に外ならず、近代劇の多岐多端な流れは、この一標識に辿りついて、初めて、演劇の伝統といふ問題を取上げたのである。
演劇の芸術的純化といふ目標が、やうやく、本質的な意義を伴ふやうになり、幾多の理論と古今の劇文学的生産が、その真価と生命を、「純粋演劇美」の立場から再批判されねばならぬ気運に
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