として、自分の一部を、自分の後に来るものの役に立てようといふ若干の菩提心(?)があつてもいいのではないか。若い人々にはさういふ気持は望まれないかもしれぬが、強ひてさうでも考へて貰はなければ、この倶楽部の存在に興味をつないで行くことはできなくなるだらう。
 凡そこれからの倶楽部の事業はその名目の如何に拘はらず、実績からみて、会員個々の全能力を発揮し得るものとは考へられず、「公平」且つ「合理的」であるといふくらゐがせいぜいのところだらうと思はれる。ところが、「合理的」であるといふことが、先づ何よりも芝居の社会には欠けてゐることを知らねばならぬ。それ故にこそ善いものが善いとされることが遅く、伸びるべきものがいつまでも伸びられずにあるのである。
 そこで、一口に云へば、この倶楽部の目的とするところは、われわれが協力して、華々しい演劇的行動を起すといふやうな空想を封じ、寧ろ個々の優れた意志と才能とを、十分に育て、実らせ得るやうな土壌を供給するといふことであつて、これがためには、私一個の意見をもつてすれば、今日まで望んで得られなかつた「良き演劇的雰囲気」の醸成が、日本新劇倶楽部の設立によつて、先づ
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