男女の、さまざまな姿が浮び、それが代る代る珍らしい踊りを踊つてゐました。
 ふと、私は、後ろから聞えて来る微かな跫音に耳を聳てたのです。
 それは彼女でした。彼女はそつと私に忍び寄らうとしてゐるのです。
 あゝ、かういふと、もうそんな眼附をなさる!
 私は、わざと驚いた振りをして見せました。彼女は、大声に笑ひながら駈け出しました。

 さうさう、彼女は、この土地へ着く早々、しきりに退屈を訴へました。そして、土曜日の晩を待ち遠しがつてゐました。土曜の晩には、パリから、一晩泊りで彼女の夫が来る筈になつてゐるのです。
 余談ですが、パリなどでは、夏になると、細君や子供を避暑地にやつて置いて、夫は、土曜日の晩から日曜へかけてそこへ出掛けて行く風習があります。土曜の午後、パリの各停車場には、さういふ夫たちを運ぶ汽車が準備されてある。これを俗に「亭主列車《トランドマリ》」と呼んでゐます。
 彼女は、その「亭主列車《トランドマリ》」を待つてゐる細君の一人なのです。尤も、それを待ち暮さないやうな女なら、こんな淋しい土地へ一人で来るわけがないぢやありませんか。

 そこで彼女は、大声で笑ひながら駈け出しました。と、思ふと、五六間離れた砂山の蔭から、水着一つになつて飛び出しました。私の方は見ずに、そのまゝ、海へ――その姿を私は微笑みながら見送りました。
 彼女のからだは、もう腰から下、水に漬かつてゐました。両手を水平に左右へ、それを肩から押し出すやうに振つて、深く深くと進んで行くのです。一度波を浴びたその乳色の肩先が、薄暮の光を受けて鱗のやうに輝いてゐました。
 間もなく、彼女の首だけが、波の上に浮んで見えました。
 此処に来て、それまでは一度も海にはいらうと思はなかつた私は、この時、何となく、着物が脱ぎたくなつた。何を躊躇してゐるのだ! 起ち上つて、私はまた別の岩角に腰を下ろしてしまひました。

 彼女は、めつたに人と口をきゝませんでした。どうかすると、人に話をさせて、自分は何かほかのことを考へてゐる、さういふ風なことさへよくありました。
「本をお読みになれば、何かお貸しゝませうか」
「小説? あたし小説は嫌ひですの」
 おゝ、ミュウズよ、彼女の冒涜を赦せ。彼女は、その代り彼女の夫を何ものよりも愛してゐるに違ひない。
 彼女は自分の部室に閉ぢ籠つてゐることはありませんでした。

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