番人間の言葉としては、力強いものになり得るんだ。政治家でも役人でも、いゝ意味で普遍性をもたせるといふことをはつきり自覚して貰ひたいと思ふのです。いゝ作家はやはりさういふことを心がけてゐる。思想の深さはさういふところから来るのではないでせうか。非常に教養といふものを狭く考へて、今日のやうな時代では、わかるといふことが、何かそれだけで非常に浅いやうに考へる傾向があるんぢやないかと思ふ。さうぢやなくて、わからせるといふことは、ものを書く人間の非常な力であつて、それがわかるやうに書かれてあつたからといつて、わかつた人間の力であると思ふのは間違ひだ。普遍性をもつといふことは、俗衆とか愚衆とか云はれる種類の大衆に受容れられることぢやない。さういふ大衆は、本当にものを読んでわかるんでなくて、知つてゐることを云はれるのを一番楽しむんだ。
国民各層や或は多くの社会に於る摩擦の原因の多くは、さういふところにあると思ふんだ。つまらんことが理由で、一緒に仕事ができるものまでできなくなる。あまりこれが多過ぎるのです。
役割と責任
今日、国民全体が協力しなければならんといふことは、ちやんと理窟では云はれてゐるが、実際の形で、どういふ風に現していくかゞ、翼賛会今後の運動に表現されるわけです。文化部門の協力体制を、具体的にどういふ風にして整へるかといふことを、僕もいろいろ考へてゐるけれど、差当り或る形は想像ができる。そこから、本当にいゝ結果を導き出すのには、自分はかういふことを引受けようといふ自己信頼と、自分がこれならできるといふ事柄を自分で求めてそこにぶつつかつて行く気持――どうしてもこの二つがなければ、形だけいくら整つても駄目です。それぞれのポストがとにかく出来るでせうが、その人にそれをみんな委せようといふ態度が必要だ。仮にその人があぶなかしく思はれ、或は更に、その人自身それを自覚すれば、また代りの人が行けばいゝ。とにかく、その事柄を委せたら、その人の全能力を発揮させることが、協力の一番大事な形であらうと思ふのです。文化部としては、どんなことをやるのかと、つねに訊かれるが、いま云つたことがお互にはつきりわかり合へなければ、どういふ仕事を始めても仕方がないと思ふんです。文学方面でも、いろいろ形の上での動きがあるやうですが……無論、大部分の人は、協力はどういふ風にすれば行はれるか、一番早くわかつてゐる人たちであらうと思ひますが、それぞれの部門をお互に委せる、その代り自分のところでは、かういふことをやると、はつきりと役割を受取つて、それに責任をもつてやることが、今一番大事ぢやないかと思ひます。それさへあれば、もう官庁や何かゝら何をやれ誰をやれと指図を受けなくても、ちやんと自分でできるところに、日本人の非常に立派なところがあると思ふのです。それをお互に譲り合つてゐることや、或は協力することばかりに囚はれて、一つのことを誰もやれ彼もやれといふ形に流れて行くことは、却つて協力の実践を阻害することになるんです。われわれは一体さういふ習慣がないからまごつくんですが、今の自分としては、だんだんにこれは相談をしてやらねばならん、さうして次の時代には、どうかしてさういふ訓練を受けた人たちが、われわれの時代を継ぐやうにして行かねばならんと思ひます。(昭和十五年十二月)
底本:「岸田國士全集25」岩波書店
1991(平成3)年8月8日発行
底本の親本:「生活と文化」青山出版社
1941(昭和16)年12月20日
初出:「中央公論 第五十五年第十二号」
1940(昭和15)年12月1日
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年1月20日作成
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