だと思ふのです。
指導者について
さうなると結局指導者の問題になつて来ると思ひますが、今までの知識層のもつてゐるものが、十分こゝで利用し得るわけです。知識層が自分のもつてゐるものを利用し得ないのは何によるかといふと、たゞ自分に対する自信のないことだと思ふのです。知識層がみんな自信をもつて、自分が立派に指導者になり得るといふ気持になれば、もう直ぐに指導者たる資格をもつてゐるんぢやないかと思ふのです。ところが一般に知識人は、今のところ、その自信をもつやうに努めてゐないと云へるんだ。さういふ点で、自信の無さが自分の聡明へのプライドであり、これで自信なぞもつてゐると思ふやうだつたらおしまひだといふ風に考へるのが、今までのインテリゲンチヤの通弊だつたのではないかと思ふ。知識層がお互にもつと相手を信じて、さうして、めいめいがもつと自信をもつて起ち上る必要があると思ふ。それには、たゞ自信をもつといふことだけでも足りないのだ。これはやはり、民衆なり人なりを指導する技術といふものを、もう少しもたなくちやいかん。
僕の考へでは、たしかに政治的の力といふものは今までより強くなつて行くが、政
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