だ。例へば文化の擁護といふ立場になると、これはもうこゝでわれわれは討死の覚悟をしなければならん。そんな消極的な立場でなく、新しい文化の建設といふ方に、若し行き得るものとすれば、これは今までの文化の意識と、やゝ変つた文化を目指さなければならん。この新しい文化について、僕等は本当にもう一度、はつきりした意識をもつやうに、勉強しなければならない。いゝ加減な、今までの文化の概念に囚はれてをると、僕等は動きがとれなくなるのぢやないかと思ふのです。かういふ時代にこそ、どうしても国民は何か新しい文化が生れるんだといふ希望をもたなければ、いかに建設的な言説を繰り返しても、それは空論に終ると僕は思ふ。さういふ意味で、余程しっかりと腰を据ゑないと、却つて国民を誤ることになると、僕自身は考へてゐるのです。日本の一般知識層の考へてゐる文化の通念は、こゝで再批判の必要が僕はあると思ふ。
 一般的に云つて、かういふ考へ方もできると思ふ。つまりかういふ時代のかういふ政治情勢下に於て現に圧迫を受けてゐるのは、必ずしも文化の健全な面ではなく、寧ろわれわれも既にさういふものとは十分戦つて来てゐるやうなものが圧迫を受けてゐ
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