ます。
今度は国内の問題であります。此の方は私共が唯漠然と見て居りましても、現に相当旅行者の数も殖えて居る。旅行者が用事の為に移動して居るばかりでなく、矢張り色々な所に物見遊山に行く者或は温泉に出掛ける者、又中には体育を目的として山登りをする者といふやうに非常に旅行者が多い。さういふ意味では或は皆さん方の、旅客を誘引するといふ必要は今おありにならないかも知れない。相当温泉場なども賑はつて居りますし、又これから夏に向つて避暑地なども相当の人出だらうと思ひます。又名所旧蹟といふやうな所を訪問する人達も私共最近の旅行の経験から見ても決して衰へては居ないと思ひます。
斯ういふ風に矢張り観光といふ立場から見ますと、観光事業其の者は決して悲観すべき状態でないと思つて居ます。唯この観光といふものを指導なさる、或は観光の意義を十分強調なさる立場から申しますと唯現在の儘旅行者の気の向いた儘、気の向いた所へ行つて、そこで唯単に無駄な時間を過すといふだけでは不十分だと思ひます。旅行の目的、観光といふものゝ意義を新しく此処で考へ直さなければならないと思ひます。今色々な所に相当殺到して居るこれ等の旅行者に対して我々が痛切に感じますことは、その土地に於ける施設なり、或は又其の土地の方々が旅行者に対してどういふ待遇をして居られるかといふ問題であります。その土地へ行つて唯旅館に泊る或は名所旧蹟を見て歩くといふことに対して今日非常にこれを有意義に導く方法がある、それは今日までよりも今が一番好い時期だとさへ考へる一つの点があるのであります。それは御承知の方もあると思ひますが、大政翼賛運動が始つて地方の文化運動が只今盛んになつて居ります。各地方ではそれ/″\新しい文化団体が簇生して居りまして、それ等の文化団体が自主的に出来て居るのもありますが、又翼賛会の文化部と致しましてはそれを自主的に出来たからと言つて抛つて置かないで、日本全体の文化向上の為に最も適当な機構を造るやうに色々連絡を取つて居るのであります。
その地方文化運動といふものの一翼に此の観光事業といふものを結び着けて戴きたい。地方文化運動の目的と致します所は、第一にその地方の伝統的な文化といふものを十分研究して、その伝統的な文化の最も健全な要素を残して、これが健全な要素の上に新しい日本の文化を築き上げるといふ所に一番大きな目標を置く。と申しますのは都会の文化は表面的には非常に華やかなやうでありまして、都会には文化が集中して居るといふやうな印象さへ与へるのでありますが、事実は都会の文化は外国文化の模倣乃至影響が主でありまして、その中には機械文明乃至は物質文明として十分採入れていゝものもありますけれども、併しそのために日本本来の健康な文化的要素といふものが非常に稀薄になつて居ります。此の稀薄になつて居るといふことが都会文化の頽廃といふことを招いて居る。
今日健全な文化の育成といふことが問題になつて居る以上、どうしても日本にある根強い民族文化を此処でもう一度見直すと、その民族文化は必ず日本の土に根を下し、日本人の生活の中に根を張つて居る。これを土台にして新時代の文化を其の上に築いて行かなければならぬ。それにはどうしても都会よりも寧ろ都会を離れた地方、特に大都会よりも地方の小都会といふ所に残つて居る伝統を十分尊重して行かなければならぬ。従つてさういふ所にある地方独得の文化といふものを十分検討してその中にある健全な芽を伸ばして行く、といふことが地方文化運動の一つの目標であります。それと同時にさういふ土台の上に築かれた文化がその地方の一般民衆の生活に良い一つの文化的の栄養を与へる。これが第二の目的であります。唯地方の文化の遺産を特殊な人が独占して、特殊な人がそれを誇りにして居るといふことではいけないので、さういふものがあればその地方の人達がさういふ文化を自分の身に附けて、さういふ文化を十分誇りとし得るやうな、さういふ一つの方法が講ぜられなければならぬと思つて居ります。地方の文化団体はさういふ意味に於て、所謂地方の文化人が唯自慰的に其の地方に残つて居るものを掘出して、金持が骨董を弄ぶやうにそれを自分の書斎なり座敷なりに飾つて置くといふやうなことでなく、さういふものを基礎としてその地方の民衆一般の自信と活動力とを与へて行くといふことを考へねばならぬ。
従つてその地方に於ける名所旧蹟といふものも今日までは他所から見に来る者に見せて置けばいゝ、見せるのに適当な施設をすればいゝといふ考へ方であつたのでありますが、将来は地方の文化運動と致しましては、其の地方の名所旧蹟は其の地方の誇りとして、其の地方の人々の手に依つて最も美しくさうして最も品位の高いものにして行かなければならぬと思ひます。それには其の地方の人達が十分名所旧蹟の意義をはつきり知つて、其の地方の人ならば誰でもその名所旧蹟に他の地方の者を案内出来るといふ知識と準備、これが先づ必要であります。
次に其の名所旧蹟にあるもの悉くがその地方の名折れになるやうなものであつてはならない。例へば看板一つにも其の地方に於ける美しい人情と芸術的な感性といふものが十分発揮されて居なければならぬ。唯単に目立つ看板を掲げればいゝといふやうなことでなく、成程斯ういふ看板は他の土地へ行つては見られない看板だ、而も其の看板には其の土地柄の美しさ良さが十分発揮して居る、といふやうな看板が掲げられて居なければならぬ。看板の一例を挙げてもさうでありますが、土産物などでも只今では大都会で造つてそれを各地方に配布して居るといふやうな実情が見られるのでありますが、これなどもその土地にとつては大きな恥辱だと思ひます。
大量生産の時代ではありますが、少くとも土産物はその土地の人がその土地の人の感覚でその土地の人の技術を以て造つて、他の土地に於ては見られないやうなものを造るとか、さういふことが今日最も健全な文化運動だと思ひます。歌謡曲なども同様で、今日は略々画一的な歌謡曲が出来て居ります。これなども新しい文化運動としては寧ろ排撃せらるべきもので、その土地に昔からある歌謡、さういふものの精神を十分生かして、それを今の人も謡ひ得る如くするといふ方向に努力が向けられなければならぬと思ひます。
その次は旅館であります。私は日本の旅館は或意味に於ては世界一設備の整つたサーヴイスのいゝ旅館だと思ひますが、一方から申しますと又旅館の無性格、性格がないと同時に非常に煩雑であり、又悪趣味の氾濫であるといふこと、これを私は日本の為に特に悲しむのであります。
先程申上げました枢軸国側の旅行者は西洋流のホテルに泊るよりも日本風の旗館に泊つた方が日本がよくわかるといふやうなことで日本の宿に泊ることが多いさうであります。その場合に私は思ふのでありますが、日本の宿屋に泊つて、これが日本の宿屋だといふことを考へさせて、而もそれが誤りでないやうな旅館が幾つあるか、私の経験ではそれが非常に稀であります。名前を申してもいゝのでありますが、私が此の十年以来内地を歩いて、これこそ日本の宿屋として日本人には勿論気持が好く、外国人を泊めても大いに誇るに足るといふ宿屋が二三軒しかないと思ひます。是は極言であるかも知れないが、私の経験ではさういふ比例であるのから考へて見ても、私は旅館の建築及び装飾、それから設備又サーヴイスといふやうなものに就て何か標準が間違つて居るのぢやないか、何時の時代からか間違つたのぢやないか、若し標準が間違つて居るとすると由々しいことでありまして、皆がそれに気付いてお互に心を合せて正しい新しい標準といふものを見付け出さなければならぬのだと思ひます。此の旅館に付ては旅行する者がそれ/″\色々な註文を持つて居りませうし、一人々々の註文を入れて行けばどんな設備をしても間に合はないといふことはわかつて居ります。併し旅館といふものゝ性格から考へまして、それは国民の最も高い常識からしまして一つの標準が必ず出来ると思ひます。この高い標準から見た一つの旅館の改善といふことが目下の時代の観光事業として急務ではないか。旅館に泊つて旅館を褒めたり貶したりする人達がどうも私は信用が出来ない。その人達の批評に従つて旅館が今日経営されて居たならば由々しいことだと思ひます。どうか一つ此の観光協会で旅館に対する正当な而も高い認識を持つた一つの委員会を作つて下さつて、その委員会が委員の名に於て色々な旅館に泊つて親切なあたゝかい、さうして改善の可能性のある案を委員会で提出して、さうして日本全体の旅館を正しい意味に於ける文化的な施設にして戴くことを私は特にお願申上げて置きます。
それから観光と申しますと暇と時間と金とがあつて、それを使ふ為に旅行するといふやうな印象が非常に強かつたのでありますが、最近ではさういふ旅行が幾分国民の良心に愬へて是正せられつゝあり、或は保健の為の旅行或は国民精神作興の為の旅行と看板は如何様とも付けられると思ひますが、実質的にさういふ目的を達し得ますやうに一つ皆さんの御考慮を願ひたいと思ひます。
勿論山登り或はハイキングといふやうなものはそれ/″\保健の目的を達するには相違ありませぬ。かういふことが立派な指導者を得てその指導の下にそれが行はれたなれば十分目的は達せられると思ひます。多くの人はさういふ指導者なく、それ/″\思ひ思ひの方法で、どうかするとさういふことを名目として時間と金とを可なり空費して居るのぢやないかと思ひます。従つてこれは此の時局柄に於きまして特に観光事業の大きな目標としてさういふ旅行者達を余り堅苦しくなく、窮屈でなく、自ら教育をして戴ければ非常に結構だと思ひます。それにはそれ/″\の土地の何かの施設を通じてさういふ旅行者に其の土地の歴史、風土、地理、産業といふやうな面への極く概略でも結構でありますが知識を与へる、さういふことが可能だと信じます。
さうして日本をより多く愛する、日本に斯ういふ土地があるといふことは我々にとつて誇りであるといふことを其の土地の者以外にも感じさせることに依つて日本に対する愛情を一層強くさせるといふことは指導者の如何に依つては十分出来ることだと思ひます。私は東京で生れて東京で育つた者でありますから無遠慮に申しますが、東京のやうな実に殺風景な都会でも、而も東京の最も有難い所は申す迄もなく宮城でありまして、さういふ点が今日東京に住んで居る者にさへどうかすると忘れ勝ちでうつかりして居るといふことがある位であります。まして地方の土地に参りましてその土地の本当の良さ本当の美しさ、本当の歴史といふものが旅行者に全く映じない、旅行者の精神に映つて来ない為に、その土地を全く通りすがりの土地として通つてしまふといふやうなことになつて居ることは甚だ遺憾であります。
日本の国土はその隅々でもその土地の歴史の中には日本人の魂に愬へるやうな美しい偉大な精神が必ず宿つて居る。さういふ点に於て今後の観光事業は総ての他の部門と比較して一層有効な一つの教育機関だと考へます。教育といふ言葉を私に此処で広いさうして寛いだ意味にとつて申上げます。
以上取り留めもないことを申上げましたが、特に準備もなく思ひついた儘を申上げた次第であります。
底本:「岸田國士全集25」岩波書店
1991(平成3)年8月8日発行
底本の親本:「観光 第一巻第三号」
1941(昭和16)年6月20日
初出:「観光 第一巻第三号」
1941(昭和16)年6月20日
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年1月20日作成
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