も、多くは単なる娯楽のつもりで出かけるのであるから、観て損をしたと思ふことは滅多にない。芝居なら腹が立つたり、馬鹿々々しくつて顔をそむけたくなるやうなところでも、映画では案外平気で笑つて観てゐられる。「動く写真」といふ興味だけでも、まだ私は惹きつけられる。况や、外国の都会や、田園の風物は、またそれを背景として動く幾多の人物や生活の種々の相は、そのまゝ私の好奇心と、想像と、追憶とを撫でるに十分である。私は時とすると、物語そのものゝ発展を忘れ、断片的な場面々々を、それぞれ勝手に、自分の好みに通つた空想に結びつけて、愉快な一晩を過すことさへある。
さういふ私であるから、映画俳優に対しては、演技の優劣を離れて好悪の感情に支配されることが多い。特別に好きな役者はまだ「決まらない」が、嫌ひな役者は、いくらでもある。アドルフ・マンジユウとダグラス・フエヤバンクスは、どちらもたまらなくいやだ。
家の者同志が、ある映画の話をし合つてゐる。「それはなんだ」と聴くと、最近私も一緒に観たことのある写真だつたといふやうなことがある。茲に到つて、私は、映画を語る資格がないことを覚らなければなるまい。
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