映画素人談義
岸田國士

 最近偶然の機会から、ある映画運動に関係しかけたのだが、今の処、自分一個として、別にその方面にこれといふ抱負があるわけではない。
 改造社の求めで、発表を躊躇してゐたシナリオ風のものを活字にする決心をしたのも最近のことだが、これは、どうも失敗らしい。文芸作品としては、その形式から云つても、表現から云つても、まだまだ完成には遠いものだといふことがわかつて来た。それにしても、あんなものは映画にならないといふ一部専門家の批評を間接に耳にして、聊か不思議に思つてゐる次第である。なるかならないかはして見ないとわからない。僕がなると思つてゐるその「なり方」と、それらの人々のならないと云ふ「ならなさ」とがどうかすると同じものでないかもわからないといふ気がする。強ひて頑張るなら、正宗白鳥氏ではないが、映画としてなつてゐなければ、別に映画といふ名をつけなくてもいゝ。昔通り、活動写真でもかまはない――まあこれは冗談だが――。

 説明といふやうなものも、兎角、色々云はれてゐるが、無ければ無くてもいゝし、有れば有つてもいゝだらう。その代り、無ければ無くていゝやうな、有れば有るだけの
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