だ。え、おい。今のはなんの音だ。
女 (静かに受話器をかけ、男甲のそばに近づき)大抵、わかつたでせう、どんなこつたか……。
男甲 おしまひのところが、よくわからん。
女 (拳銃で喉を撃つ手真似をして)たうとう、やつたのよ。
男甲 馬鹿な……。
女 ほんとよ。(椅子に腰をおろす)
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Bの部屋では、男乙が、拳銃をテーブルの上に投げ出したまゝ、煙草を喫ひはじめる。
マネージヤーらしき男が、扉を開けてはひつて来る。数人のボーイが、後から続く。
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男乙 なんでもないんだよ。電話で空砲の音を聞かしてやつたんだ。話の弾みでね。お騒せして済まなかつた。あ、それからね。もう少し経つて、若い女が訪ねて来るかも知れないが、僕の家内つていふことにして、こつちへ通してくれ給ひ。
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一同、顔を見合はして出で去つた後、男乙は、寝台に寝転つて書物を読みはじめる。
Aの部屋では、男甲が、先づ、新聞を畳み、起ち上る。
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男甲 京都では、まだお前に見せるものがあつたつけな。
女 なあに?
男甲 舞妓さ。
女 そんなもんどうだつていゝわ。
男甲 まあ、後学のために見ておけ。まだ睡くなけれや、今から出かけるか。こうつと……。何処がいゝかな。どれ、ひとつ、ナンバア・ワンつていふところをお目にかけよう。(電話の方に近づく。受話器を取り上げ)もしもし京極一六二九番……。
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Cの電話室の呼鈴が鳴る。丁稚風の少年が現れる。
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少年 あ、もし、もし……。
男甲 あ、もし、もし……。わしだよ。東京の楠見だよ。
少年 楠見はん、そんな人、知れへん。
男甲 君は、誰……。
少年 わてか。わて、米吉いふもんどす。
男甲 あゝ、米竜か。わしだよ。はゝゝゝ、わかつたか。うん、しばらく……。どうだね、その後は……。いや、なに大したこともないさ。実は今度は、家内を連れて、見物かたがたやつて来たんだがね。どうも見物も疲れるばかりでね。はゝゝゝ、さうはいかんさ。そいつは、一人で来た時にしよう。うん、さういふわけでね、序だから、舞妓の踊りでも見せてと思ふんだが、お前、ひとつ、人選をしてくれんか。あゝ、何時もの処でよろしい。十人ばかり……。もう二十分ほどして出掛けるから、お前先へ行つてゝくれ。よし、わかつた。
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Cの電話室では、少年がぼんやり受話器を耳に当てゝゐるが、しまひにそのまゝ居眠りをしはじめる。
主人らしい男がはひつて来て、少年を突きのけ、受話器を耳に当てる。
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主人 もし、もし、どなたさまでおまつしやろ?
男甲 え? わしに相談……? そいつは弱つたな。この次ぎぢやいかんか。それやさうさ。無論、承知はしてゐるが、今度は勘弁してくれ。
主人 阿呆らし、あんた、だれや。えらい混線や。
男甲 さう、さう。ぢや、兎に角、わしが一と足先へ出掛けることにしよう。なに、かまはんよ。ぢや、さよなら……。
主人 さいなら……。おやすみ……。
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男甲、受話器をかける。
Cの電話室でも、主人が荒々しく受話器をかけて去る。
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男甲 では、かうしよう。わしが先へ行つて、後から迎ひを寄越すから、お前は、用意が出来たら、すぐ来るといゝ。お客さんだから、そんなにおめかしをして来なくつてもいゝよ。
女 あたし、そんなとこへ行かなくつてよ。
男甲 どうして……。
女 どうしてゞも……。
男甲 困るなあ、今更、そんなことを云ひ出しちや……。
女 困らないでせう。その方がいゝつて、ちやんとおつしやいよ。
男甲 もう約束しちまつたんだぜ。
女 だから、あなた一人で、行つてらつしやればいゝわ。
男甲 淋しくないかい。
女 淋しいわよ。
男甲 それ見ろ。
女 でも、いゝわ。淋しいぐらゐ我慢するわ。その代り、十二時までには帰つて頂戴ね。あたし、寝てるから、そうつと扉《ドア》を開けるのよ。さ、行つてらつしやい。
男甲 いやに聞き分けがいゝね。ぢや、ちよつと行つて来るよ。さうさう、お友達が来るかも知れないんだね。さうだと、却つて、わしがをらん方がよからう。
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男甲、帽子を取つて出て行く。
男乙、書物を投げ出し、寝台にもぐり込む。スタンドの灯を細くする。
Cの電話室が暗くなる。
やがて、女は、隣室に駈け込み、外出の用意をして現れる。電話を掛けようとするが、やめて、そのまゝ、部屋の外に姿を消す。
Bの部屋の扉《ドア》をノツクする音。
男乙、起き上り、扉を開けに行く。
女が現れる。男乙は、無言のまゝ、女を抱かうとするが、女は、からだを退く。
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女 多分、そんなことだらうと思つた。
男乙 ぢや、どうしてやつて来たの。
女 そんな訊き方、ないでせう。来たかつたから、来たのよ。で、やつぱり、行くの。行かないの?
男乙 行くさ。
女 もう、行くの、およしなさい。
男乙 行かなけれや、どうなるんだい。
女 どうもならないわ。たゞ、あんたが、何処にゐたつて、あたしにやおんなじだつていふだけよ。
男乙 僕の方はさうは行かない。
女 あら、不思議ね。
男乙 現に、そばにゐればこそ、かうして君を引張り出すことになるぢやないか。
女 己惚れちや駄目よ。あんたの意志なんかもう問題ぢやないわ。
男乙 さういふことを云ひに来たの、わざわざ……。
女 ムキにならなくつたつていゝわ。おどかされたから怒つてるのよ。
男乙 さうか。まあ、どつちでもいゝや、来てくれさへしたら……。明り、このまゝにしとかうか。
女 明りのことなんか気にしないだつていゝわよ。
男乙 …………。
女 まだ怒つてるのよ。もつと御機嫌を取らなくつちや駄目よ。
男乙 さうか、失敬、失敬……。
女 (笑ひ出し)どら、どんな拳銃だか、見せて御覧なさい。
男乙 何処へ置いたつけ……。あゝそこだ、テーブルの上だ。
女 (拳銃を取り上げ、男をねらひ)これが、あんな音を出すの。撃つてもいゝ?
男乙 危い。また、マネージヤーが飛んで来ら。
女 (拳銃をテーブルの上に置き)あんた、うちの宿六さん、どう思つて?
男乙 なかなか肥つてゝ、立派ぢやないか。
女 それだけ?
男乙 いゝステツキを持つてるね。
女 それから?
男乙 毛深い質だね。胸なんか毛だらけだらう。
女 余計なこと云つてらあ。かういふ風ぢや、あんたと会つても駄目ね。しんみりした話なんか出来やしないわ。
男乙 君がわるいんだよ。初めから調子を外すんだもの。
女 あ、さうさう、いゝこと考へた。電話、借りるわよ。(受話器を外す)もし、もし、都ホテルへ、どうぞ……。
男乙 そんなことして、いゝの?
女 もし、もし、ホテルですか。二百五番の部屋へ繋いで下さい。えゝ、ゐる筈です。さうですか。あ、もし、もし、あなた? あたしよ。あ、た、し……。まだ起きてらつしやるの? えゝもうぢき帰るわ。え? さういふわけぢやないけど、どうしてらつしやるかと思つて……。うゝん、やつぱり、心配なのよ……。うそばつかり……。淋しいのは、あたしよ。一人で車に乗るでせう、さうすると、つひ、うつかり、あなたがそばにいらつしやるつもりで、話しかけさうになるのよ。自分でも可笑しいくらゐよ。……えゝ……え? 帰つたら、いくらでも……。あら、いやだ、それはあたしの云ふことよ。ぢや、さよなら。また、あとでね。(キツスの音をさせ、受話器をかける)
男乙 それだけの用事か。真面目でないな。
女 これで真面目なのよ。
男乙 結婚して、今日で、幾日目だつけ?
女 十七日目……。式を挙げて十七日目だけど、まだほんとに結婚はしてないのよ。
男乙 そんなこと訊いてやしない。
女 訊かれなくつたつて云ふのよ。相手が年寄りだと思ふ通りになるわ。
男乙 ふうん、そんなもんかね。
女 あたし、少しは変つたでせう……。
男乙 君もすつかり面倒臭い女になつたよ。早くどつちかにきめたらいゝぢやないか。帰るなら帰る。ゐるならゐる……。
女 おや、あんたこそ、いやに威猛高ね。そんなに云ふなら、ゐたげるわよ。その代り、一つ条件を出すわよ。あの人が此処へ迎へに来たら、文句を云はずに、あたしを連れて行かせるのよ。
男乙 大将が此処へ来るのかい?
女 今、来るやうにするのよ。
男乙 なんだつてそんなことをするんだい?
女 あの人が何処まで寛大だか、それを試してみるのよ。それから……。
男乙 それから、僕が何処までお人好しだか、それを知りたいんだらう。真つ平だよ、そんなことは……。いゝから、もう、帰つてくれよ。
女 帰らない。あんたが、さつき、電話口でしたことは、どんなことだか知つてゝ? あたしの何処かに、まだ少し残つてゐた「人を信じる心」が、あれですつかり吹つ飛んでしまつたのよ。
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この時、Aの部屋の扉が明き、男甲が悄然とはひつて来る。部屋中を見廻し、隣室の中をのぞき、絶望的にソフアにもたれかゝる。
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女 あん時まで、あたしは、嘘を吐くのがいやだつたし、ほんたうのことが云へたら、どんなに楽だらうと思つてゐたのよ。それが、今では、嘘とほんたうの区別がつかなくなつたのよ。今迄、ほんたうだと思つてゐたことは、みんな嘘なんだわ。きつと……。あの人が、今、あそこへ行つてることだつて、嘘かも知れないわ。さうよ、見てらつしやい。(電話に向ふ)もし、もし、都ホテル……え、すみません。……あ、もし、もし、二百五番へ願ひます……。
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Aの部屋の電話が鳴る。男甲、受話器を耳にあてる。
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女 もし、もし。
男甲 聞いてるよ。
女 帰つてらしつたのね。
男甲 あゝ、帰つて来た。お前、何処にゐるんだ。
女 当てゝ御覧なさい。
男甲 わかつてるよ。今晩は帰らないのかい。
女 帰りたくつても帰れないの。赦して下さる?
男甲 別段、悪いことでもないぢやないか。早く帰つておいで。
女 さうおつしやると、なほ帰れないわ。さつき、二人でゐる時ホテルへかゝつて来た電話ね、あれは、学校のお友達でも、その旦那さんでもないのよ。
男甲 知つてるよ、そんなことぐらゐ……。
女 さうでせう。あたし、今、その人のところへ来てるの。あなたに隠れてよ。でも、あたし、後悔してるの。取返しのつかないことをしたと思つてるの。
男甲 取返しはつくさ、なんでもないよ。
女 だから、あたし、あなたに済まないと思つて、決心したの。
男甲 ふうん、どんな決心……。
女 今、すぐわかるわ。(女はテーブルの上の拳銃を取り上げる)
男乙 (慌てゝ女の手を抑へ)よしてくれよ、それだけは……。弾丸《たま》がはひつてるんだぜ。
女 嘘よ、そんなこと……。(銃先を喉に当てる)
男乙 (もぎ取らうとして)空砲だつて、怪我をするよ。
女 (さう云はれて、今度は、急に銃先を男の方に向け、放す。爆音)
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男乙は、そのまゝ、前にのめる。
女、驚いて、駈け寄る。
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男甲 よし、よし、それで
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