てもらひたいなあ。今、君んとこの大将、何してるの。
女   うちの大将、今、新聞を読んでるわ。時々、あたしの方を、こはい眼で見てるわ。
男乙  ぢや、これくらゐで止さう。もう寝るんだらう。
女   まあ、そんなとこね。
男乙  ゆつくりおやすみ。
女   御機嫌よう。

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女、受話器をかけ、そのまゝ、男甲の方に近づき、その後ろから無意味に新聞をのぞき込む。男乙は、しばらく受話器を耳に当てゝゐるが、思ひ切つて、その場を離れる。服を脱いでピジヤマと着替へる。
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女   三年前に結婚した学校のお友達なのよ。今日、丸山公園であたしたちを見かけたんですつて……。あんなひと、すつかり忘れてたわ。
男甲  なんていふ人だい。
女   え? あのね……。お嫁に行つた先は、なんとか云つたつけ……。友石だつたか知ら、……なんでもそんな名前よ。画家だわ。
男甲  風呂はどうする?
女   もつとあとからにするわ。
男甲  そんなこと云つて何時《いつ》まで起きてるつもりだい。
女   眠くなるまで……。

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女、男甲の傍を離れ、隣室にはひる。Bの部屋で、男乙は寝台にはひらうとし、思ひ出したやうに、電話器に近づく。受話器に手をかけようとするが、思ひ直して、鞄から書物を一冊取り出し、寝台に寝そべつて、頁を繰りはじめる。しかし、それも、一分間とは続かない。すぐに起き上り、飛びつくやうに受話器を外す。
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男乙  もし、もし、もう一度、都ホテル……。さうです。……都ホテルですか。済みませんが、もう一度、楠見君の部屋へ繋いで下さい。えゝ、呼び出して下さればわかります。

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Aの部屋の電話が鳴る。女が慌てゝ、隣室から姿を現すのと、男甲が、急いで受話器を耳に当てるのと、殆んど同時である。
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男甲  はい、はい。
男乙  もし、もし……はい……。

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長い沈黙。二人の男は、先に相手の声を聴き分けようとして互に、耳を澄してゐるのである。
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男甲  もし、もし、わたし、楠見です。どなたですか。
男乙  ……(受話器を耳より放し、途方に暮れる)
男甲  もし、もし、わたしに御用ですか、家内に御用ですか。

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女、恐る恐る電話に近づく。
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女   どら、あたしに貸して御覧なさい。この電話、よく聞えないのよ。(受話器を男甲より受取り)もし、もし、こちら、楠見でございますが……。もし、もし……。

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この時、男乙、再び受話器を耳に当てる。男甲、元の席に帰り、また新聞を読む。
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女   どうしたんだらう、ちつとも聞えないわ。間違ひか知ら……もし、もし、もし、もし……。
男乙  あゝ、やつと通じた。僕だよ……。大丈夫かい。もう一度だけね、これでおしまひだ。大将、なんにも気がついてやしまいね。
女   あ、さやうでいらつしやいますか。さあ、如何でございますか……。
男乙  話してもいゝね。もう、寝てたの?
女   どういたしまして……。
男乙  迷惑だつたら、かまはないよ。そつちから切つてくれ給へ。
女   まあ、迷惑だなんて、そんな御心配は、決して……でも……。
男乙  うん、それや無論、わかつてるよ。だから、こんなに急いでるんぢやないか。出来ることなら、一口で、なにもかも云つてしまひたいくらゐだ。僕は、君にとつて、邪魔な人間でありたくないんだ。どういふ意味でゝも、なるだけ遠くに離れてゐようと思ふんだ。しかし、僕たちの別れ方は、あんまり理想的すぎた。あんまり、美しい余韻がありすぎたんだ。眠つてゐる僕の腕から、そうつと抜け出して行つた君を、僕はまだ、夢の中で抱いてゐるんだ。可笑しい、こんな云ひ方をするのは……だが、ほんとに、さうなんだ。
女   それはもう、お察しいたしますわ。でも先程、奥様からお電話をいたゞきました時は、そんなお話は、ちつともなさいませんでしたけれど……。
男乙  我慢してたのさ。云つてもしようがないと思つたからさ。でも、僕は、難題を持ち出さうつていふんぢやないよ。それは安心し給ひ。君に是非、云つて置きたい、いや、寧ろ、知らして置きたいことつていふのは、つまり……。
男甲  なんの話だい……いつまでも……。
女  
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