と考へた。電話、借りるわよ。(受話器を外す)もし、もし、都ホテルへ、どうぞ……。
男乙  そんなことして、いゝの?
女   もし、もし、ホテルですか。二百五番の部屋へ繋いで下さい。えゝ、ゐる筈です。さうですか。あ、もし、もし、あなた? あたしよ。あ、た、し……。まだ起きてらつしやるの? えゝもうぢき帰るわ。え? さういふわけぢやないけど、どうしてらつしやるかと思つて……。うゝん、やつぱり、心配なのよ……。うそばつかり……。淋しいのは、あたしよ。一人で車に乗るでせう、さうすると、つひ、うつかり、あなたがそばにいらつしやるつもりで、話しかけさうになるのよ。自分でも可笑しいくらゐよ。……えゝ……え? 帰つたら、いくらでも……。あら、いやだ、それはあたしの云ふことよ。ぢや、さよなら。また、あとでね。(キツスの音をさせ、受話器をかける)
男乙  それだけの用事か。真面目でないな。
女   これで真面目なのよ。
男乙  結婚して、今日で、幾日目だつけ?
女   十七日目……。式を挙げて十七日目だけど、まだほんとに結婚はしてないのよ。
男乙  そんなこと訊いてやしない。
女   訊かれなくつたつて云ふのよ。相手が年寄りだと思ふ通りになるわ。
男乙  ふうん、そんなもんかね。
女   あたし、少しは変つたでせう……。
男乙  君もすつかり面倒臭い女になつたよ。早くどつちかにきめたらいゝぢやないか。帰るなら帰る。ゐるならゐる……。
女   おや、あんたこそ、いやに威猛高ね。そんなに云ふなら、ゐたげるわよ。その代り、一つ条件を出すわよ。あの人が此処へ迎へに来たら、文句を云はずに、あたしを連れて行かせるのよ。
男乙  大将が此処へ来るのかい?
女   今、来るやうにするのよ。
男乙  なんだつてそんなことをするんだい?
女   あの人が何処まで寛大だか、それを試してみるのよ。それから……。
男乙  それから、僕が何処までお人好しだか、それを知りたいんだらう。真つ平だよ、そんなことは……。いゝから、もう、帰つてくれよ。
女   帰らない。あんたが、さつき、電話口でしたことは、どんなことだか知つてゝ? あたしの何処かに、まだ少し残つてゐた「人を信じる心」が、あれですつかり吹つ飛んでしまつたのよ。

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この時、Aの部屋の扉が明き、男甲が悄然とはひつて来る。部屋中を見廻し、隣室の中をのぞき、絶望的にソフアにもたれかゝる。
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女   あん時まで、あたしは、嘘を吐くのがいやだつたし、ほんたうのことが云へたら、どんなに楽だらうと思つてゐたのよ。それが、今では、嘘とほんたうの区別がつかなくなつたのよ。今迄、ほんたうだと思つてゐたことは、みんな嘘なんだわ。きつと……。あの人が、今、あそこへ行つてることだつて、嘘かも知れないわ。さうよ、見てらつしやい。(電話に向ふ)もし、もし、都ホテル……え、すみません。……あ、もし、もし、二百五番へ願ひます……。

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Aの部屋の電話が鳴る。男甲、受話器を耳にあてる。
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女   もし、もし。
男甲  聞いてるよ。
女   帰つてらしつたのね。
男甲  あゝ、帰つて来た。お前、何処にゐるんだ。
女   当てゝ御覧なさい。
男甲  わかつてるよ。今晩は帰らないのかい。
女   帰りたくつても帰れないの。赦して下さる?
男甲  別段、悪いことでもないぢやないか。早く帰つておいで。
女   さうおつしやると、なほ帰れないわ。さつき、二人でゐる時ホテルへかゝつて来た電話ね、あれは、学校のお友達でも、その旦那さんでもないのよ。
男甲  知つてるよ、そんなことぐらゐ……。
女   さうでせう。あたし、今、その人のところへ来てるの。あなたに隠れてよ。でも、あたし、後悔してるの。取返しのつかないことをしたと思つてるの。
男甲  取返しはつくさ、なんでもないよ。
女   だから、あたし、あなたに済まないと思つて、決心したの。
男甲  ふうん、どんな決心……。
女   今、すぐわかるわ。(女はテーブルの上の拳銃を取り上げる)
男乙  (慌てゝ女の手を抑へ)よしてくれよ、それだけは……。弾丸《たま》がはひつてるんだぜ。
女   嘘よ、そんなこと……。(銃先を喉に当てる)
男乙  (もぎ取らうとして)空砲だつて、怪我をするよ。
女   (さう云はれて、今度は、急に銃先を男の方に向け、放す。爆音)

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男乙は、そのまゝ、前にのめる。
女、驚いて、駈け寄る。
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男甲  よし、よし、それで
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