うれしいが、そんな余計な威張り方はして貰ひたくないね。
並木  威張るんぢやない。
三輪  威張るんでなけりや、なんだい。勿論、卑下をしてゐるんぢやあるまい。僕はね、並木君……。
並木  ……君《くん》はよさうぢやないか。
三輪  ……。
並木  並木と呼んでくれ、昔通り……。
三輪  いやにこだはるなあ。ぢや、ねえ、並木、おれは久し振りで君に会つて、こんなことを云ふのはいやだが、君は、自分でも云つてる通り、すつかり人間が変つてるぞ。変つてるのはかまはないが、なんだつて、さう、おれに、見栄を張らなけれやならないんだ。貧乏を恥かしがる必要もないが、貧乏を吹聴して、独りで力み返る必要がどこにある。貧乏を自慢にすることは、近頃流行するやうだが、黙つてゐても、貧乏なことぐらゐはわかるよ。
並木  (対手の顔を見上げる。眼が異様に光る)
三輪  侮辱されたと思ふのか。おれは他人を侮辱して愉快になる程、まだ快楽に渇《かつ》ゑてはゐないよ。云ふことがあるなら云つて見ろ。自然に遠ざかつて行つたのには、何か理由もあるだらうが、おれの方は、少くとも、最後まで、変らない友情を示したつもりだ。
並木  おい、そんなに大きな声を出すな。
三輪  大きな声を出すさ。君には、おれの心の声が聞えないぢやないか。
並木  聞えたよ。
三輪  何が聞えた。ぢや、今日、おれたちと一緒に、夕飯を食ふか。
並木  食ふよ。(涙を溜めてゐる)

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長い沈黙。
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三輪  金持は罪人だといふ君の主張は、今でも変るまいが、まさか、昔の友達を敵《かたき》扱ひにするほど、突きつめた考へ方をするやうになつてるんぢやあるまい。(間)それに、おれなんか、金持の部類にはいらないよ。

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長い沈黙。
[#ここで字下げ終わり]

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三輪  どうしたい、そんなに悄気《しよげ》ちや、駄目だよ。
並木  悄気てやしないよ。
三輪  悄気てもゐまいが、元気がないぢやないか。さうさう、からだの方は、大丈夫なのか。
並木  あゝ、その方は……。
三輪  それや、いゝね。その点ぢや、おれの方が惨《みぢ》めだ。相変らず寝てばかりゐるよ。
並木  神経痛か。
三輪  それと、例の……。
並木  あゝ……。まだいけないのか。
三輪  益※[#二の字点、1−2−22]いけないよ。
並木  そんな風には見えないぜ。
三輪  それがいけないんだ。

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間。
[#ここで字下げ終わり]

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並木  降りようか。
三輪  入れ違ひになると厄介だから、もう少し待たう。腰かけるか。(腰かけを探す)
並木  ねえ、君、久し振りで会つて、こんなこと頼むのは厚顔《あつかま》しいやうだが、都合がよかつたら二十円ばかり貸してくれないか。
三輪  (一寸気まづげに相手の顔を見るが、すぐに懐に手をやつて)あゝ、いゝとも。それくらゐならあるよ。(紙入れを出して、紙幣を抜き出し、並木に渡す)
並木  ありがたう。(そのまゝ袂にしまふ)

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重苦しい沈黙。
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三輪  風が無くなつたね。
並木  気を悪くしやしないかい。
三輪  君こそ、そんなことを苦にしてるんぢやないか。僕は今日君に会つたことをよろこんでゐるんだ。お互に昔通りものが言へるのはうれしいよ。
並木  少し興がさめやしないか。
三輪  そんなことを云ふと興がさめるよ。
並木  さうかなあ。やつぱり僕は駄目だね。(袂からさつきの紙幣を取り出し)君、折角だが、返すよ。こんなことしちやいかん、どうも……。
三輪  なにを云つてるんだ。君の方で都合のいゝ時返してくれゝばいゝぢやないか。今日は何か買物があるんだらう。金が少し足りなくなつたんだらう。さういふことは僕だつてあるよ。運よく友達にでも会つたらと思ふことがある。さういふ時には、なか/\会はないもんだ。処が、君は運がよかつた。たゞ、それだけぢやないか。
並木  さういふ考へは、僕なんかには浮ばない。
三輪  まあ、いゝから取つときたまへ。急にゐる金ぢやないから、急いで返して貰はなくつてもいゝよ。
並木  (苦笑しながら)実はね、家内に一重帯を買つてやらうと思ふんだが……。
三輪  (笑ひながら)君の細君は果報者だ。僕は今少し余分な金があるんだが、君達の結婚祝ひといふと遅蒔きだから、今日旧交を温めた記念に、僕から君の細君に一つ贈物をさせて貰はう。その代り、今の金で、君から、僕の家内に何か買つてやつてくれ。
並木  御厚意は有難いが、それぢや、なほ、僕がつらい。余計なことを云つてしまつて、どうも、納まりがつかなくなつたが、それだけは赦してくれ。今日は全く失敗した。近頃こんなに苦しい思ひをしたことはないよ。人間は惰力で活きてゐるものだとは思つてゐたのだが、反抗反抗で活きてゐる人間が、ぱつたり手応へのない処へぶつかると、かうまで間誤《まご》つくものとは知らなかつた。さつきから話したことも、あれや、つまり、僕の反抗心が云はせた嘘八百だ。そんなことにも、気がつかない君ぢやあるまいが、あんな大鉢《おほばち》を叩いて置いて、そのまゝ別れたんでは寝醒めが悪いからなあ。
三輪  まあ、さう、自分だけを責めなくつてもいゝさ。人一倍自尊心の強さうな君に、金を貸せと云はせた僕にも、いくらか徳があるんだ、ねえ、さう自惚れさせてくれよ。奴さんたちが帰つて来るまでに、その話をきめとかうぢやないか。
並木  いや、それだけは断る。今日は断る。これも取つて置いてくれ。なにもかも、やり直しだ。五年後にもう一度会ひ直さう。少しは人間ができてるかも知れん。
三輪  相変らず強情だなあ。それなら気のすむやうにしたまへ。(金を受け取る)

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三輪の妻と並木の妻とが連れ立つて帰つて来る。
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三輪の妻  随分かゝつたでせう。気に入つた柄がないの。奥さまにも見て頂いたんだけれど……まるで好みが違ふの。
並木  こいつは悪趣味ですからね。
三輪の妻  いゝえ、さうぢやございませんの。そら、(夫の方をちらと見て)あたしは、どつちかつて云へば、粋好みでせう、自分で云ふのは可笑しいけれど――それに、奥さまは、お上品なお好みでいらつしやるから……。
並木の妻  あら、あたくし、そんな、お上品なんて……。
三輪  いや、どうもさうらしい。それで、やめたのかい。
三輪の妻  兎に角、きめたんですけれどね、あなたのお気に召すかどうか……。一度見て下さるといゝんだけれど……。いゝのよ。わるかつたら、また取り換へるわ、うちで見て……ね。それより、御一緒に、一重帯を見たのよ。こちらの奥さまが御覧になりたいつておつしやつたから……。よくお似合になるのがあつたの。(並木の妻に向ひ)あれをどうしておきめにならなかつたんですの。
三輪  お前みたいに、独りでおきめにならないんだよ。
三輪の妻  あら、だつて……。
三輪  どら、出掛けよう。君達は、もう用はないんだらう。それぢやと……(妻に)何処がいゝかね。
並木  あ、僕達は、ちよつと寄るところがあるから、今日は失礼しよう。(三輪の妻に)折角ですが、此のつぎに……。
三輪の妻  まあ、そんなことおつしやらずに……。およろしいんでせう、奥さま……。
並木  今、思ひ出したんだ。弱つたなあ……。ほんとに、今日は許して下さい。
三輪  それぢや無理にお引止めしない方がいゝ。何れそのうち……。
並木の妻  (黙つて会釈する)
三輪の妻  でも、残念ですこと……。それではむさくるしいところですけれど、近々に是非……。あの、御一緒にですよ。
三輪  さよなら。

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三輪夫婦去る。
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並木の妻  どうなすつたの……。
並木  どうもしやしないよ。襦袢の袖、あつたの。
並木の妻  それや、あるわ。でも、困つたのよ、安いのを買はうとすると、傍《そば》から、三輪さんの奥さんが、こつちがいゝつて、高いのを撰《よ》るんですもの……。
並木  ……。
並木の妻  あの人達、随分あるらしいのねえ。
並木  ……。
並木の妻  素敵な金紗を買つたわよ。
並木  金紗がなんだい。
並木の妻  始まつたわね。(間)どこへ寄るの、これから……。
並木  ……。
並木の妻  一重帯ね、今、ずつと値が下つてるんだけれど……どうかできないか知ら……。
並木  一重帯なんか締めてる奴は、殆どゐないぢやないか、三輪の細君だつて……。
並木の妻  さうよ、絽の丸帯よ。
並木  絽の丸帯がなんだい。
並木の妻  だから欲しいつて云やしないわよ。
並木  欲しいつて云つたつていゝよ。
並木の妻  どうせ買へないからでせう。
並木  馬鹿。それを云はずにはをられないのか。一口つゝしめば、一口だけ利巧に見えるんだぞ。
並木の妻  (あつけに取られて夫の顔を見守る)
並木  あゝあ、たまにこんな処へ出て来ると余計な奴に会ふわい。
並木の妻  余計な奴つて……よささうな方ぢやないの。でも、あたしたちのゐない間に何かあつたんぢやない? さう云へば、少し変だつたわよ、挨拶の調子が……。始めは、もつと打ち解けた調子だつたのに……。
並木  そんなことはないよ。同じこつたよ。(間)今、何してるつて訊きやがつた。
並木の妻  なんて云つたの。
並木  本屋にゐるつて云つといた。
並木の妻  どこの本屋かつて訊きやしなかつた?
並木  訊かない。あいつは、そんなことに興味はないんだ。しかし、お前のことは訊いたぜ。
並木の妻  どんなこと?
並木  学校は何処だとかなんとか……。それに、気味の悪いほど褒めてたぜ。
並木の妻  なんて?
並木  いろんなことさ。それはさうと、あいつ失敬な奴だよ。金がいるならいつでも云へつて云やがつた。
並木の妻  まあ……。でも察してるのね。
並木  久しぶりで会つて、そんなこと云ふ奴があるかい。馬鹿云へつて呶鳴つてやつた。
並木の妻  およしなさいよ、折角深切で云つてくれるのに……。だから食事を一緒につて云ふのも断つたの?
並木  さうさ。(間)あいつに金を借りて、その金で一重帯を買はうか。
並木の妻  あなたにできる、それが……。
並木  できるさ、しようと思へば……。
並木の妻  うそばつかし……。
並木  どうしてさ。どうしてできない?
並木の妻  あなたに、そんなことまでさせたくないわ、いくらなんだつて……。
並木  (真顔で)するよ、お前の為めなら……。
並木の妻  (しんみり)さう云つて下さるだけで沢山。……(急に調子を変へて)ねえ、あなた、ほんとに無理なことはしないで頂戴ね。あたし、なんだか怖くなつたわ。
並木  ……。
並木の妻  あなたが、あゝいふお友達にまで、そんなことの為めに、肩身の狭い思ひをなさりやしないかと思ふと、あたし、ぢつとしてゐられないわ。
並木  だから、何も云ひ出しやしないよ、そんなことは……。たゞ、向うが……。
並木の妻  えゝ、それはわかつてるわ。だから、そんな時、きつぱりと、断はつて頂戴……。気を悪くさせないやうにね。(間)もう、これから、何が欲しいなんて決して云はないわ。
並木  それとこれとは話が違ふよ。都合がつけばいゝぢやないか。
並木の妻  いゝえ、だから、お友達とだけは、綺麗なおつき合ひをして頂戴ね。どんな場合でも卑下をしないですむやうな……。
並木  お前はそんなこと心配しないだつていゝよ。
並木の妻  いゝえ、心配よ、あたし……。ほんとに、今迄、気がつかなかつたの、そのことだけは……。
並木  ……。
並木の妻  あなたも、何時までもぶら
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