仕事は、向うから逃げて行くんだ。
三輪  そんなこともあるまい。

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やゝ長い間。
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並木  (突然、感慨めいた口調で)実際此処は面白い処だよ。あれを見たまへ――向うに見えるのが帝国ホテルだ。僕は、あすこの部屋に一度も寝たことはない。しかし、こゝへ上つて、あの屋根を見下ろすと、帝国ホテルがなんだといふ気になる。あれを見たまへ。あれが日本銀行だ。あの中には、さぞ大きな金庫があることだらうが、そんな金庫なんか埃溜《はきだめ》と同じことだ、さう思へる。これも、変な負け惜しみぢやない。つまり、此処へ上つて見ると、現実が現実として此の眼に映つて来ないんだね。一種のカリケチユアとして映るだけなんだ。
三輪  どうして、また、そんなことを云ひ出したんだい。
並木  それから、あの自働車を見たまへ。僕は、タクシイといふものに乗つたことは生れて二度しか無いんだが――一度は社長を東京駅へ送つて行つた時、家へ判を忘れたから取つて来いと云はれて、実用とか云ふ奴を呼んでくれた、その時と、もう一度は、これも社長の知合とか
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