外国文学の中に「文学の要素」として、「本質的要素」として見出し得る「美」が、「魅力」が、「味」が、何故に、日本現代文学の多くに、現代戯曲の殆ど悉くに、欠けてゐるか、其点に注意して下さい。
 外国文学の影響を受けたくない作家は、外国文学がわかる必要はない。批評家は、さうは行かない。それでなければ、諸君は、永久に価値判断の標準を誤り続けるだらう。
 さもなくば、作家は、永久に、「味」のないものを書き続け、劇場は、「味」のない舞台を見せ続けるだらう。
 外国文学独特の「味」を日本文学にそのまゝ取入れる必要はあるまい。それは、決して、文学に「味」は要らないといふ理由にはならない。「味」にも色々ありますから。外国文学独特の「味」さへも、それを「味はひ」得ることによつて、自分独特の「味」を創造する何等かの暗示にならないとも限らない。
 僕は、寧ろ、その「外国文学独特の味」なるものが、既に、超国境的な、新しい時代生活の普遍的な「味」になつてゐるのではないかとさへ思ふくらゐである。外国文学独特の味だなど、云つてゐる暇に、われ/\日本人は、とう/\国際的な、二十世紀的な感情や感覚に触れられないでしま
前へ 次へ
全6ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング