外国文学の中に「文学の要素」として、「本質的要素」として見出し得る「美」が、「魅力」が、「味」が、何故に、日本現代文学の多くに、現代戯曲の殆ど悉くに、欠けてゐるか、其点に注意して下さい。
 外国文学の影響を受けたくない作家は、外国文学がわかる必要はない。批評家は、さうは行かない。それでなければ、諸君は、永久に価値判断の標準を誤り続けるだらう。
 さもなくば、作家は、永久に、「味」のないものを書き続け、劇場は、「味」のない舞台を見せ続けるだらう。
 外国文学独特の「味」を日本文学にそのまゝ取入れる必要はあるまい。それは、決して、文学に「味」は要らないといふ理由にはならない。「味」にも色々ありますから。外国文学独特の「味」さへも、それを「味はひ」得ることによつて、自分独特の「味」を創造する何等かの暗示にならないとも限らない。
 僕は、寧ろ、その「外国文学独特の味」なるものが、既に、超国境的な、新しい時代生活の普遍的な「味」になつてゐるのではないかとさへ思ふくらゐである。外国文学独特の味だなど、云つてゐる暇に、われ/\日本人は、とう/\国際的な、二十世紀的な感情や感覚に触れられないでしまふのかも知れない。それが悪いとは、誰も云はない。
 日本人でありながら、外国文学をその国の人間と同じやうに味はひ得るなどと、自ら断言する馬鹿もゐまい、自分でそんなことがわかるものか。



底本:「岸田國士全集19」岩波書店
   1989(平成元)年12月8日発行
底本の親本:「時事新報」
   1925(大正14)年3月3、4、5日
初出:「時事新報」
   1925(大正14)年3月3、4、5日
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2009年9月5日作成
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