て行け」
 といふ白を云ふ場面がある。甲の俳優は、戸口を指して、叱るやうに「出て行け」と怒鳴つた。
 戸口を指すといふト書は台本にないが、俳優がさういふヂェスチュアを工夫したのだ。演出者の眼に、ふと、それが不自然に映つた。そこで、「君はどうして、戸口を指すか」と問ふてみる。答は「その方が、この人物の心理を的確に表現すると思ふ。第一、出て行く場所を明らかに指定する方が、見物にも、ある期待をもたせ、命令が一種の脅威的な力をもつことになりはせぬかと思ふ。」
 が、演出者は、まだ不服だ。それなら寧ろ、頤だけで戸口を指し、低く、決意の籠つた声で云ひ放つた方が、一層効果的だと思ふ。それを俳優に説明する。手を挙げて指すといふことは、古典的な舞台なら兎も角、現実生活に於ては、なんとなく、大袈裟な、それだけ隙のある動作だ。効果が寧ろ反対に、滑稽味を帯びて来る。「さういふつもりでやつてみ給へ」と云ふ。俳優は、すぐにそれをやつてみる。「それぢや、また、まるで駄々つ子だ」。内部的にまだ欠陥があることを指摘し、そこの工夫を希望しておく。相手が素人なら、これくらゐ突つ込んで、「批評」しないと形がつくまい。これで、
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