大させながら、しかも常にそれをしつかと把持することを忘れない。このことによつて、散文と雄弁との間には、推論と判断との間に於けると同様の相違が存することが解るのである。」
これらの句は、演劇の本質に関する思考の上に、非常に大きな示唆となるものである。
殊に、同じくアランの「演劇について」といふ論文(劇作所載)は、決して「専門的」ではないが、私の演劇論に一つの新しい道を拓いてくれたものである。序に、その中から、重要な句を拾つてみる。
「演劇は決して日常生活から拾ひ集めた感動的な、又は愉快な会話から作られるものでないことを、明かにしなければならない。」
「これは、舞踊、音楽、建築、デッサンがさうであるやうに、自己本来の方法及び条件に従つて発展するものである。」
「独白が行はれ、聴き役が現はれるといつたやうな、場所についての、つまり規則通りに行はれる邂逅に関するさまざまの約束は、決して勝手気儘なものではなく、正に反対に演劇の形式そのものに属するものであることは明白である。演劇精神がそれを課するのである。」
「すべて言葉を使用する芸術に於て、言葉の質料、即ち騒音、擦音、※[#「口+伊」、第4
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