」に成り得るといふ「方法」は、ただ一つである。即ち、俳優の「演技」である。更にこれを分割すれば、「言葉」或は「身振り」である。その一方だけでも「演劇的」なものが出来上るのである。(ラヂオ・ドラマ、パントマイム)ただ、その「言葉」は、「語られる言葉」であつて、「書かれた言葉」であつてはならず、その「身振り」は、「科《しぐさ》」の範囲に限られてゐる。即ち「意志」と「感情」を伴ふものでなければならぬ。(気狂ひじみた動作の連続は「演劇的」でない)
さて、これを約言すれば、俳優の演技によつて、ある「生命の発展」を示すことが「演劇」の必要条件として考へられる。つまり、俳優がある人物(或は擬人化されたもの)に扮して、その人物の「生活」を生活してみせるといふことである。(人形劇は、俳優の肉体と精神とが、人形とこれを操るものとに分裂しただけである)そして、その「生活」は、予め仕組まれた物語の形式による場合と、俳優が即興的に舞台上で仕組んで行く場合とあるが、何れも、言葉(対話)と動作(身振り)による「演技」と、その扮する人物の外貌を模した扮装、並に、その人物の生活環境を表示する装置とによつて、心理的に
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