A演劇を中断するより外はない。(合唱隊により、又は幕を下す等)
一、舞台は、同時に[#「同時に」に傍点]ただ一つの場所を示すにすぎない。
一、舞台上の言葉は、その人物の間で取交されるのを原則とするが、その実、多数の見物に呼びかけてゐるのである。
一、見物は劇場にゐることを忘れることもできるが、劇場にゐることを想ひ出すことで悦びを感じるのである。即ち、俳優[#「俳優」に白丸傍点]と、その扮する人物[#「人物」に白丸傍点]と、その人物を創造した作者[#「作者」に白丸傍点]、この三つの生命[#「生命」に白丸傍点]を同時に感じる時、最も完全な陶酔境に浸り得る。
一、観劇の時間は、疲労の度を考慮し、純然たるスペクタクルを交へるに非ざれば、約三時間を限度とする。
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私は、以上の諸点を以て、最も重要な「演劇的条件」と見做すものである。これらの条件を無視することによつて、演劇の領域を拡大しようとする試みもなされたが、何れもそれは試みに終つて、やうやく、変態的一例としての興味を惹くに止まるのである。そこでこれら「演劇的条件」がそのままテクストたる「戯曲」の制約となるのであるが、なほ、説明を加へれば、
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一、登場人物は一人以上、舞台の広さに応じて幾人でもかまはぬが、時[#「時」に白丸傍点]と場所[#「場所」に白丸傍点]の関係に於てのみ人物の生活が存在する。即ち、時と場所の関係を離れた人物を登場させることはできぬ。
一、舞台刻々のイメエジは、決して観念として沈潜又は停止を許さない。従つて、音声的といふよりも、寧ろ心理的な律動によつて、舞台の物語が誘導的に進展することを必要とする。
一、作者がある人物をして語らしめようとすることは、一つの観念であるが、それが語られる時は、常にその人物の必然的な要求[#「必然的な要求」に白丸傍点]から発せられた言葉[#「言葉」に白丸傍点]の如くでなければならぬ。
一、舞台上では、人物に如何なる行為[#「行為」に白丸傍点]をさせることもできる。ただ、その行為の「真らしさ」は、行為が激しければ激しいほど失はれ易い。
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これでまだ云ひ足りぬ部分もあるやうだが、大体右の「制約」は、作者に更に、次の如き注意を要求する。
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一、人物の出
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