叫ぶやうなけちな量見をもつてゐないことを断言する。が、同時に、新しく結成されようとする合同劇団が、幸ひ、純粋な立場から演劇芸術の完成に向はうとする意図を示してゐる以上、過去に於ける「新劇」の歩みを振り返つて、傾向から傾向に移動する漫策的歴史と絶縁し、演劇の本質的探究と技術の基本的錬磨から出発する覚悟がなくてはならぬ。つまり、「研究」と称する派手な道楽でない、「職業」といふ地道な年期生活をはじめてほしいのである。勿論、村山氏には村山氏の「演劇論」がある筈であるし、その実践をみないうちに、理論的に、かうあつて欲しいなどとは僕から云はぬつもりであるが、恐らく、作家として、又は、演出家としての存在以外に、優れた一人の新劇指導者を、われわれは同氏のうちに見出すことができると信じるが故に、敢て、僕の希望を述べてみたのである。
三、夢想
わが国に於ける「新劇」が、今日まで幾多の輝やかしい歴史を有ちながら、遂に、その「運動」の目標に辿りつかなかつたこと、即ち、歌舞伎劇又は新派より独立した「現代演劇」を生み得なかつたことは、いろいろな社会的原因があるにもせよ、結局は才能ある俳優が出なかつ
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