よれば、そのプログラムも一応できあがつてゐるやうである。われわれはその内容について直接当局からはなにも聞いてゐないけれど、各項目をざつとみたところでは、別に驚くやうなことはひとつもない。
たゞ最後に自分の眼を疑ひたいほど会心な一項目が掲げられてゐるので、それだけでも、政府の意図するところを私は汲むことができた。その項目といふのは、国立演劇研究所の創設である。
かねて私は機会ある毎に、かゝる国家的施設の必要を叫んでゐたのである。わが国の演劇界の現状は、誰がなんといはうと、正しい意味でのアカデミズムの欠如が唯一の弱点であつた。技術の訓練も、人材の吸引も、品位の向上も、理論はとにかく、実際問題として、まづそこから出発しなければならぬのが、少くとも日本的特殊事情なのである。
演劇そのものに対する社会的偏見の是正は、国家がその権威と責任とをもつてこれに当る以外、もはや近道はないと私は信じる。
さて、然らば、どんな演劇研究所ができるか? 恐らく急速にといふわけにはいくまい。技術の新しいメソードの樹立といふ見地からでも、いくらかの準備期間が必要かも知れぬ。形式にとらはれて、無きに如かざるやうなものが出来あがれば、それこそ時節柄、国家の大なる損失であるが、所謂、世界的日本建設の掛声が、演劇芸術といふ限られた部門において偶然最も根本的な問題に触れ得たことを私はひそかに悦ぶものである。
耳による正しい国語教育
演劇の社会的効用について論ずる人は多いが、演劇と国語教育とを結びつけた意見といふものがまだ日本には現れてゐないやうである。
これは、在来のわが国の演劇が、伝統的に時代の教養から遊離し、高い意味での文化的な指導性をもつてゐなかつたことが第一の原因であり、第二の原因としては、今日までの国語教育乃至国語の修得といふことが、主として「文字」を通じてなされ、「読み書き」が主であつて「音」による「言葉」の研究がいくぶん軽視され、「聴き方、話し方」の訓練法が殆ど体系づけられてもゐないやうな有様であるといふことを挙げなければならぬ。
私は国語教育について特に専門的な意見を述べる資格はないが、演劇方面の仕事に関係して痛切に感じてゐることは、俳優技術確立の基礎条件として、この国語教育の欠陥を先づ埋めなければならぬといふ事である。
国語といふのはつまり、日本語のことであら
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