とを、また繰返すやうになりますが、「本質」といふものは、「必要」ではあるが、それだけで「十分」なものではない。従つて「本質」を他の部分から遊離して考へることは不可能でありますが、要するに、或る作品の魅力は、芸術的価値は、さう単純に決められるものではない。いろいろな点で特色を示してゐる。全体的に優劣を定め得られる二つの作品が、或る点では、却つて反対な価値批判を与へ得る場合が少くないのであります。例へば、ラシイヌの数ある作品で、最も傑れたものと定評のある『フェードル』は、或る一点、たゞその一点のみで、普通第四位または第五位に置かれる『ベレニイス』にやゝ劣つてゐると云ひ得るのであります。その一点とは、ニュアンスに富む文体の快き諧調である。渾然たる韻律の美である。この見解は、或は幾分趣味の問題に触れてゐるかもわからない。しかし『ベレニイス』の真価が、その一点で、戯曲の本質と結びつけられる時、「本質主義者」は、『フェードル』を選ぶ前に『ベレニイス』により以上の演出慾を感じるに違ひない。ここで注意すべきは、『ベレニイス』は、ラシイヌの戯曲中、最も「非劇的」な戯曲とされてゐることであります。「非劇的
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