』中で述べたジャック・コポオ一派の主張であります。
 此の主張は、まだ、特別な名で呼ばれてゐないやうであります。然し、既に、立派な芸術上の一理論であることは云ふまでもありません。そしてこれを所謂近代主義からも、所謂伝統主義からも区別して考へる時、先づ「本質主義」とでもいふやうな名が許されさうに思ひますが、元来、「何々主義」と呼ぶためには、あまりに傾向的な色彩が薄く、寧ろ常道または本道そのものであるといふ感が深いのであります。
 近代主義が過去の芸術を否定し、伝統主義が新奇を厭ふ、その間にあつて、古典を愛し「美の永遠性」を信じ、革命よりも完成を、因襲よりも独創を、理論よりも霊感を尊び、時代の推移と共に「変る部分」よりも、時代と国境とを超越して「変らざる部分」を作品のうちに求めようとするのであります。
 かくて、舞台より流行と因襲とを排除し、演劇をして、真に本質的の美を発揮せしめ、劇場を芸術的に純化しようとするのであります。
 此の運動から、劇作家としても多くの有為な詩人が生れ、文学的流派に囚はれない「明日の演劇」が、希望ある未来を示してゐるのであります。
 劇団としては、巴里のヴィユウ・
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